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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(28)行け!朝鮮開発には人が要る 近代化に身を投じた若者の記録

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(28)行け!朝鮮開発には人が要る 近代化に身を投じた若者の記録

朝鮮時代の横山左武郎 朝鮮時代の横山左武郎

 京城着は、5日の朝8時55分。京都からは2日半の行程だ。一行は、京城駅前の旅館へ入り、南大門や李朝の旧王宮・景福宮などを見学。南山にあった朝鮮神宮を参拝した。《南大門は市内四大門の一つで、誠に雄大なるものだ。朝鮮神宮の参道では、内地人、本島(朝鮮)人など種々見受けられ、ちょっと異国情緒がある》(同)

 横山少年は、いにしえの朝鮮の伝統文化と、急ピッチで進む近代化の波が入り交じった光景を目の当たりにする。《(略)終日、大朝鮮の民族、風習などを一見した私の頭にはさまざまな想いがかけめぐる…古典的な街にも文明開化の潮が押し寄せているのだ。(略)午後十時、思い出多き京城の街に別れを告げて、われらの列車は汽笛一声北上した》(同)

 一行は、鮮鉄の京義線に乗って平壌へ。さらに北上して鴨緑江を越え、南満州鉄道(満鉄)線で満州各地を回り、帰路は、朝鮮東海岸の元山などを訪問している。横山が買い求めた写真入りのはがきには当時の朝鮮の風俗や街の様子が刻まれていて興味深い。

 ◆道半ばでの無念の病死

 日本が、朝鮮に張り巡らせた鉄道網は終戦前に5000キロ以上。修学旅行で横山らが乗った関釜連絡船-鮮鉄-満鉄のルートは、大陸への「最短ルート」であり、その先のロシア、ヨーロッパへとつながる「西洋への扉」でもあった。

 横山は、卒業後の昭和10年3月、鮮鉄に入り、京城にあった工作課の車両係に配属されている。

 横山の日記は《近衛文麿内閣(第1次)総辞職》のニュースが飛び込んできた14年正月から再び、書き始められている。先行きの見えない日中戦争、迫りつつある対英米戦争の足音…。陸軍への入営を挟みながら横山は技術者として多忙な日々を送っていた。

 《朝鮮はまったく朝が鮮やかだ。わが第二のふるさとに汽車は走りぬ》(一時帰郷から朝鮮へ戻った14年1月24日付日記から)

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