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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(28)行け!朝鮮開発には人が要る 近代化に身を投じた若者の記録

朝鮮時代の横山左武郎
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 16歳の横山左武郎(さぶろう)が海峡を越えて、「朝鮮・満州旅行」へ出かけたのは、昭和9(1934)年5月のことであった。京都市立第一工業(当時)卒業を翌年に控えた修学旅行である。

 9年といえば、満州国建国から2年、新天地・大陸への夢や憧れが高まっていたころだ。修学旅行は他に「東京」を選ぶこともできたが、横山は迷わず、朝鮮・満州に決めている。

 18日間の旅は、横山の将来をも決定づける鮮烈な印象を与えたらしい。卒業後、横山は再び海峡を越え「朝鮮総督府鉄道局(鮮鉄)」に技術者として就職しているからだ。

 日本は莫大(ばくだい)なカネ、ヒト、モノ、技術をヨソの民族のためにつぎ込んだ。朝鮮の開発・近代化に貢献するため、どれほど多くの日本人が、情熱と志をもって海峡を越えていったことか。横山少年もまたその一人であったことは遺(のこ)された日記や手紙から、うかがい知ることができる。

 ◆夢想う憧れの朝鮮

 『昭和九年鮮満旅行日記』を追ってみたい。

 第一工業の一行は、京都駅を9年5月2日午後8時32分に夜行列車で出発、東海道・山陽線を走り、広島・宮島で厳島(いつくしま)神社に参拝した後、下関から夜行の関釜連絡船に乗り込む。

 《僕達は初めて見る植民地の風景をいろいろ頭に画(か)きつつ船が出るのを待った…大空を仰げば、平和の使者のごとき半月と宝玉を散(ち)りばめたような星が輝く…翌朝早朝4時半ごろに目が覚めた…多年、夢想(おも)う内に憧れていた朝鮮半島が海に浮かび出ているではないか》(同旅行日記から)

 初めて訪れる朝鮮の地に胸躍らせる若者の高ぶりが目に浮かぶようだ。

 釜山からは鮮鉄・京釜線に乗って北上する。《(朝鮮の)街は、あまりきれいとはいえないが、風情は全く内地(日本)と異にしている。住む人、家屋…われわれの好奇心を注がせる。(内地に比べて)汽車の広大なこと、視界の広いのは愉快。大邱、大田、天安、水原…朝鮮開発にはまだまだ人も要るし、機械も要る。「行け、開発せんとするものは唯(ただ)、満州に限らない!」》(同)

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