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【話の肖像画】大原美術館館長・高階秀爾(4) 画期的、図録に全作品掲載

第1回「アーティスト・イン・レジデンス・プログラム」。若手芸術家(右)の制作現場で=平成17年、岡山県倉敷市(本人提供)
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 〈昭和34年に東京・上野公園に開館した国立西洋美術館は、実業家の松方幸次郎が大正から昭和初めに欧州で集めた美術収集品「松方コレクション」を収蔵展示する。第二次世界大戦末期にフランス政府に接収された同コレクションの返還をめぐる交渉に関わったことで、運命が大きく変わった〉

 給費留学は2年間だけでしたから、3年目からは日銀の駐在員の秘書のアルバイトを始めました。その頃は日本に帰っても就職のあてもないので、ずっとフランスにいるつもりでした。ヨーロッパには一度行ったら二度とは行けない時代でしたからね。

 松方コレクションの返還が問題になったとき、両国の連絡役のようなことをフランスでやることになりました。交渉は難しく、フランスは自国のものだと言うし、松方家は自分のものだと言う。政府間の交渉となり、フランスは美術館をつくることを寄贈の条件に挙げた。

 敗戦国の日本はお金がなくて美術館どころではない。しかし、そうしないと作品が戻ってこないので、国立西洋美術館をつくることにしたのです。

 オープン時に美術の専門家が必要ということで、文部省(当時)から呼ばれて帰国し、働き始めました。松方コレクションを展示すると大変な人気でした。ルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち」などは同館の重要なコレクションですから、歴史的にみても美術館ができてよかったと思います。

 36年秋から翌年にかけて「ルーヴルを中心とするフランス美術展」を東京国立博物館(上野公園)で開催しました。国立西洋美術館には特別展を開催する場所がなかったのです。ロマン主義を代表するドラクロワから印象派、エコール・ド・パリ(パリ派)、キュービスム(立体派)までのフランス近代美術の100年を俯瞰(ふかん)する展示です。図録デザインはグラフィックデザイナーの粟津潔君に頼み、全作品を載せました。今では当たり前ですが、当時図録に掲載するのは主要作品だけでしたので画期的でした。

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