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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(27)「取り入れる」日本人 朝鮮語の唱歌までつくった

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 大阪大名誉教授、加地伸行(のぶゆき)(中国哲学史)の本紙連載コラム「古典個展」(平成26年1月26日付)によれば、江戸時代の天明4(1784)年発行の書物の中にサンスクリット語やオランダ語などと併せて、ハングルが「朝鮮国の文字」として紹介されている。しかも日本人に分かりやすいよう「いろは歌」で再構成する工夫が見られた。

 加地は《古代以来、中国は自分が世界の中心と思い、今もその態度を変えない。朝鮮半島は中国を主人とする属国根性が今も抜けていない。しかし、わが国は、歴代、外国文化を謙虚に受け入れ、しかも、日本化するという努力を続けてきた》と書いている。

 ◆朝鮮の偉人や旧跡も

 明治初期に日本の学校教育として取り入れられた「唱歌」も最初は、“日本人お得意”の和魂洋才、和洋折衷というべきものだった。『蛍の光』も『蝶々(ちょうちょ)』も外国の曲からメロディーだけを借りて、まったく違う日本語の歌詞をつけて作られている。

 さて、朝鮮ではどうやったのか。

 日本が朝鮮に、近代教育制度を整備したとき、やはり唱歌教育を導入している。これは“日朝折衷”というべきものだった。

 日韓併合(明治43年)直前の保護国時代、韓国統監府が監修し、大韓帝国学府が発行した「普通教育唱歌集 第一輯(しゅう)」(同年)は主に内地(日本)の唱歌を、そのまま朝鮮語に翻訳したのである。

 日本は、同じく統治した台湾や、日本が強い影響力をもっていた満州(現中国東北部)でも、土地の自然や名所旧跡などを取り入れたオリジナルの唱歌をつくっているが、「現地語の唱歌」をつくったのは意外なことに朝鮮だけだ。

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