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【話の肖像画】映画監督ヤン・ヨンヒ(2) 北朝鮮に3人の兄を奪われ 「地上の楽園」と宣伝された祖国

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【話の肖像画】
映画監督ヤン・ヨンヒ(2) 北朝鮮に3人の兄を奪われ 「地上の楽園」と宣伝された祖国

ヤン・ヨンヒさん(斎藤良雄撮影) ヤン・ヨンヒさん(斎藤良雄撮影)

 高校1年の次兄が「北に行って建築家になる」と言い、中学3年の三兄もそれに続きました。帰国事業は開始からしばらくたち、実際には北朝鮮が楽園などではないとすでに判明しつつあった。しかし、父が総連で帰国事業を推進する立場だったこともあり、その事実を認めようとしなかったんです。

 〈1人日本に残るはずだった長兄も翌47年、組織から指名を受ける形で弟たちの後を追った〉

 兄たちを見送った新潟の港は、今も記憶に残っています。「帰国事業」の意味はよく分からなかったが、周囲の騒ぎを見て「よっぽど遠くに行くんだな」「帰ってこないんだな」と悟りました。皆、悲しそうで涙を目に浮かべているのに、行かないでという人は誰一人いない。代わりに「万歳(マンセー)、万歳」と叫んでいました。

 その後、私は40度の高熱が1週間続きました。母は診察した漢方医から「眉間に、子供にはできないはずのシワがある。大人の事情があるにせよ、この子にとっては兄を奪われ、引き離された状況。大変な傷を負っている」と説明されたそうです。

 母もしばらくの間、放心状態でした。ある日、手紙と写真を手に泣いていた。驚いて写真をのぞくと知らない人が写っていました。「分からんか? コンミンや」。一番下の兄が、見る影もないほどやせていたんです。「アボジ(父)に言うたらアカンで」。母はそう声を潜め、写真を破り捨てました。

 〈兄たちとの再会には、学生代表団の一員として訪朝した高校2年の時まで、約10年を要した〉

 滞在した1週間の間、ずっと泣き続けました。兄たちに抱きついて、言葉も出てこなくて。こんなに恋しかったんだ。自分でもびっくりしました。気持ちにふたをしてしまっていたのかもしれません。(聞き手 時吉達也)

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