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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(26)ハングル普及に貢献した日本人 中国崇拝一辺倒を打破

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 井上著の『福澤先生の朝鮮御経営と現代朝鮮の文化とに就いて』(昭和9年)を引いてみたい。《朝鮮には諺文(ハングル)がある。日本の「いろは」の如(ごと)くに用いられると知られて、(福沢)先生は、これさえあれば朝鮮も開化の仲間に入れることができる》

 福沢や井上の頭にあったのは、日本語の「漢字かな交じり文」だ。漢字のみの漢文や、ひらがな、カタカタのみの文は読みにくいが双方が交じると読みやすい。漢字は表意文字なので文意がつかめるからだ。

 ハングルは、表音文字であるため、同音異義語が多く、「防火」と「放火」が同じ表記になってしまう。そこへ漢字表記を交ぜると、文意がつかみやすくなるのは日本語と同じだ。福沢らは漢文志向が強かった当時の朝鮮に、漢字とハングルを交ぜた文を根付かせ、庶民にも読みやすくしようと考えたのである。

 再び前述書に拠(よ)る。《政治も法律も支那に模倣(略)官吏の文書に正音(ハングル)を交えることを禁じ…常民の全く学識なき者、婦女子のほかは、男子として諺文(同)を読んだり書いたりするのは一大恥辱…というのが朝鮮上流社会の思想であった》

 福沢と井上は、その思想を打破するために、ハングル入りの文を用いた新聞の発行を考えつく。《先生は「(新聞への)諺文使用は出来うるか」と言われました。私は、決して困難とは思いませんが、朝鮮上流社会の支那崇拝思想を打破せぬ限りは、これを社会に普及させられませぬ。これを打破するのが私の使命と思っています》

 そして、井上は、朝鮮人語学者の協力を得て、明治19(1886)年、形は少し違ったが、京城でハングルを入れた初の新聞『漢城周報』(週刊)の発刊にこぎつける。新聞は国王の認可を受け、政府の機関が発行所となったもので、朝鮮社会に与えたインパクトは大きかった。29年には朝鮮人の手によってハングルのみの独立新聞が発行される。

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