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【話の肖像画】アーティスト・野老朝雄(3)五輪エンブレム決定2日後に母が危篤…

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 ただ、大学は建築専攻に進んだものの、自分の望んだ環境ではなかった。ちょうどバブル期で、アルバイトとして建築設計事務所に出入りしながら、模型制作の技術などを習得した感じです。

 〈その後、英国の建築学校AAスクールに一時在籍するも、そこで教えていた建築家で美術家、江頭慎さんに心酔して師事。制作助手などを務めた〉

 日本ではバブル崩壊が始まっていて、家の経済事情も考えると学校には長くいられないと考えた。一分一秒でももったいないと、学校をやめて個人的に江頭さんに師事することにしたんです。

 もともと本で江頭さんの作品を知り、AAスクールへの留学を決意しました。本を読み、「なんだこりゃー」と衝撃を受けた。全然建つ気配のない建築とは言い難い構造物が、RIBA(英国建築家協会)に表彰され高い評価を受けていた。自分の価値観が揺さぶられ、興奮したのを記憶しています。

 帰国後も江頭さんが行うワークショップのアシスタントとして手伝わせてもらいました。彼の哲学、圧倒的なセンスにはいつも度肝を抜かれる。自分も狭義の建築家に収まらない、幅広い表現を求め、結果的に「建てない」方向に進んでいた。親はがっかりしたと思います。ただ不思議に後悔はなかった。

 実は平成28年4月末、東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムが決まった2日後、寝たきりの母が危篤だと連絡を受けました。「おめでとう」と祝福され、取材なども殺到する中、内心、携帯電話が鳴るたびにビクビクしていました。

 2カ月後に母は亡くなりました。僕の作品が選ばれたというニュースまで生きていてくれたのがせめてもの救いです。全然いい息子じゃなかった。設計事務所を営む家に生まれたにもかかわらず、親が期待する建築の仕事に携わることはなかった。でも、それに釣り合うことを自分はやってるんだと、一生かけて証明するしかないと思っています。(聞き手 黒沢綾子)

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