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【産経新聞創刊85周年】明治150年 維新を完結させた西郷 薩摩の「捨てがまり」後輩たちも受け継ぐ

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【産経新聞創刊85周年】
明治150年 維新を完結させた西郷 薩摩の「捨てがまり」後輩たちも受け継ぐ

 今年は明治維新から150年。明治は、縦軸としては近代国家の礎を築き、横軸としては国際社会に打って出たターニングポイントの時代であった。怒濤(どとう)は型にはまらない人物をも生み、彼らが時代をつくった。NHK大河ドラマでも描かれている西郷隆盛、吉田松陰、坂本龍馬…。そして薩長といった地方が彼らを生んだ。今の時代、彼らから何を学ぶべきか。

 維新から10年を経た明治10年9月24日朝、西郷隆盛は陣を構えていた鹿児島・城山の洞窟を出た。自ら率いる薩軍と政府軍とで半年あまり続いた西南戦争に決着をつけるためであった。

 とはいえ、圧倒的兵力と火力で最後の攻撃をかける政府軍の前に、勝ち目はなかった。飛び来る銃弾の中、敵陣に向かう西郷に対し、側近の一人、辺見十郎太が「もう良いのではありませんか」と声をかけた。自裁-切腹を促したのである。

 だが西郷は「まだまだ。本道に出て尋常に斃れなければ本当じゃなか」と拒否してさらに進む。本道とは敵陣の真正面といった意味だろうか。やがて流れ弾が股と腹を貫く。立ち上がれなくなった西郷はやはり側近の別府晋介に「晋どん、晋どん、もうこのへんでよか」と声をかけ、別府の刀で首をはねられた。

国のため命捨てる

 今に伝えられる西郷の最期である。だが、なぜ自裁ではなく戦死を選んだのか。そもそも下野した後、故郷での悠々自適の生活を送っていた西郷が、なぜ政府軍と戦ったのか、その晩年には分からないことが多い。

鹿児島を見守る桜島 鹿児島を見守る桜島

 鹿児島には、自分たちは維新のため命をかけたのに、武士という特権を奪われ、禄も失ってしまったという士族たちの不満が渦巻いており、これが叛乱につながった。西郷は情において忍べずこれに乗せられたという説がある。維新後、専制を強める新政府に対する抗議だったという見方もある。

 だが王政復古や廃藩置県によって、藩や武士に自己犠牲を求め天皇中心の中央集権国家をつくった中心人物は西郷その人だった。ある程度専制的でなければ、改革はできないというかつての同志、大久保利通や木戸孝允の心情も理解していたはずである。

 その西郷が天皇の軍隊である政府軍と戦う。矛盾といえば矛盾している。だが一方で、その矛盾を解消するための行動だったともいえる。つまり新政府への不満や批判を一身に背負いこみ、その自らが滅びることにより、生まれたばかりの国を守る。そのためには自裁ではなく、天皇の軍に討たれて死なねばならなかったのだ。

 西郷には「死に癖」ともいえる性格があった(澤村修治氏『西郷隆盛』)という。「国のために死ね」が口癖だった。だが命がけで維新を実現させ、戊辰戦争で先頭に立って戦っても死に場所は得られなかった。その西郷にとって西南戦争で命を捨てることで、彼なりに明治維新を完結させたのだろう。実際、この戦争を境に日本から内戦は消え、統一国家を取り戻した。

貫かれる自己犠牲

 西郷だけではない。後輩の鹿児島出身の明治人たちは、国のためならいつでも命を捨てるべきだという独特の死生観を持っていた。例えば西郷の実弟の西郷従道は内務大臣時代、後任の海軍大臣、山本権兵衛から「戦艦を買う金がなくなった」と相談を受けた。日露戦争を前に海軍力を大増強しようという時期である。従道は悠然として言った。「他の予算を流用すればいい。違法だといわれたら、貴方と2人、二重橋へ行って腹を切りましょう。2人が死んで軍艦ができればそれでいい」

 西郷と同じ加治屋町に生まれた連合艦隊司令長官、東郷平八郎は、日本の運命を決めた日本海大海戦の最中、幕僚たちの声も聞かず、旗艦「三笠」の危険な艦橋に立ち続けた。「この一戦に比べれば、オレの命など軽いもの」という風情だった。

 この自己犠牲ともいえる死生観は日本の「武士道」そのものかもしれない。だが、鹿児島にはそれを育てた独自の精神風土もあった。維新から270年近く前の関ケ原の合戦にまでさかのぼる。

時代をつくった西郷隆盛の銅像=東京・上野公園 時代をつくった西郷隆盛の銅像=東京・上野公園

 この戦いで西軍に加わった薩摩藩主の弟、島津義弘は敗戦後、わずか千人の手兵を率い退却戦を迫られた。義弘は敵の主将、徳川家康の本陣を襲い、たじろぐ敵陣を突破、西へ走る。このとき兵士たちは、主君に背を向ける形で追っ手の徳川軍と戦い、次々と討ち死にすることで義弘を逃がした。これにより軍勢は80人にまで減ったというが、義弘は無事、堺にまで退却、船で薩摩へと帰還できたのだ。

 自らの命と引き換えに主君を守るという、この「捨てがまり」はその後、長く鹿児島で語り継がれたに違いない。「主君のためには死なねばならぬ」と教えられ、幕末に及んで「国のために死ね」となった。

 現代の価値観からすれば、とうてい受け入れられないだろう、このことを理解しないかぎり、維新の歴史も明治の精神も分からない気がする。(客員論説委員 皿木喜久)

 【明治150年】産経新聞では85周年を記念し、年間企画「明治150年」を展開しています。近代国家の礎を築いた明治時代を掘り下げることで現代日本を見つめ直したいと考え、「国境」「法律」など各テーマを取り上げています。

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