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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(23)日本官憲を代表して責を負う 平安南道「最後の知事」が残した回想録

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(23)日本官憲を代表して責を負う 平安南道「最後の知事」が残した回想録

黄海道警察部長時代の古川兼秀=昭和10年 黄海道警察部長時代の古川兼秀=昭和10年

 以来、約5年間にわたって抑留生活が続く。実はこのとき、古川ら3人の幹部のみがシベリア行きの飛行機に乗せられたと思い込み、覚悟を決めた。回想録にはこうある。《私たちが日本官憲を代表して責を負い、(シベリアへ)送られたと思い、以(もっ)て瞑(めい)すべし、と考えていた》と。

 次男の武郎(たけお)(80)は思う。「父は、曲がったことが大嫌いだった。青雲の志を抱いて朝鮮へ渡り、私は、すごくいい政治をやったと思う。そして、最後までそれを貫いたんです」=敬称略、土曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

                   

【プロフィル】古川兼秀(ふるかわ・かねひで) 日本統治時代最後の平安南道知事(官選)。明治34年、会津の名刀鍛冶、古川兼定(かねさだ)の家に生まれる(12代兼定の次男)。旧制一高から東京帝大法学部卒、高等試験行政科に合格し、大正14年朝鮮総督府へ。黄海道、平安北道警察部長、総督府保安課長、図書課長、咸鏡北道、平安南道知事を歴任した。昭和20年8月、朝鮮へ侵攻してきたソ連軍に拘束され、シベリアに5年間抑留。昭和49年、73歳で死去。駐韓国大使を務めた前田利一(としかず)は女婿(長女の夫)にあたる。

●=恵の心を日に

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