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【話の肖像画】元サッカー日本代表・釜本邦茂(3)東京五輪は「何もできなかった」

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【話の肖像画】
元サッカー日本代表・釜本邦茂(3)東京五輪は「何もできなかった」

東京五輪の4年後のメキシコ五輪で大活躍=昭和43年 東京五輪の4年後のメキシコ五輪で大活躍=昭和43年

 当時、自分は控えですよ。FWは川淵(三郎)さん(元日本協会会長)もいたし、杉山隆一さん、渡辺正さんもいた。渡辺さんが遠征でけがをして、僕が先発で出場することになりました。

 東京五輪の初戦は、雨の中でのアルゼンチン戦だった。僕がセンタリングでパスを出して、川淵さんが頭で同点ゴールを決めた。その後、小城(得達(ありたつ))さんが決勝ゴールを決め、ベスト8入りを果たしました。

 チームとしては良かったですよ。でも自分が「何をしたか」ですよね。チームに貢献したか、というと何もしていない。世界のレベルから言うと、三流以下の選手だと感じましたね。

 ゴールは最後の最後、蹴ったのが入った。大阪・長居競技場で行われた順位決定戦で、ユーゴスラビアと対戦した。日本は1-6で負けたんだけど、相手のチームにイビチャ・オシム(元日本代表監督)がいました。後に会ったとき、「釜本さん、あのとき日本チームにいたでしょ。私は2ゴール決めました」と言ってました。縁というは不思議なものですよね。

 五輪期間中は東京・代々木にあった選手村に泊まりました。八幡製鉄(当時)から来ている男子バレーボールの選手と話したり、人気のあった「東洋の魔女」の女子バレー選手を見かけたことはあったけど、ほかの競技の選手との交流というほどのものはなかったなあ。

 五輪から帰ってきて、早稲田大のチームメートやマネジャーらと一緒に食事に行き、「オレは駄目だなあ」というと、「いや、釜本さん、4年後は大丈夫ですよ。メキシコ五輪で頑張りましょう」と励まされたことを覚えています。

 このとき「次はワールドカップ(W杯)で頑張りましょう」という声は出なかったな。当時はサッカーでも五輪至上主義でしたからね。(聞き手 江目智則)

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