PR

ライフ ライフ

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(21)日本人が築いた「電力遺産」を食い潰す北朝鮮 

Messenger

 朝鮮北部の発電力は終戦時に計173万キロワット、工事中の発電所を加えると、300万キロワットを超える。発電コストは内地より安く、廉価な電力が、京城や平壌などの主要都市や、やはり朝鮮北部に建設された一大化学コンビナートの興南工場群に供給されていった。

 ■急伸した電灯普及率

 京城の電気事業は、日韓併合前の明治32(1899)年、李朝王家の保護下で米国人企業家がつくった漢城電気(後に韓美電気)によって営業がスタートしている。だが、高額の電気代に加えて設備費も徴収されたため、契約者は京城約5万戸のうち、わずか493戸にすぎなかった。

 経営不振の同社の電気事業を、日本資本の日韓瓦斯(ガス)電気(後に京城電気)が路面電車事業とともに買収し、一般家庭にも広く電気を普及させてゆく。

 昭和5年には京城とその周辺で、約9万5千戸、14年には約14万8千戸と急増。朝鮮全体では、16年度末の主要21都市の電灯普及率が66%に達し、全土でも17・4%になっている。3年度末の数値が6%だったことを考えると、13年間で電灯普及率が約3倍に伸びたことが分かる。

 もっとも、主要21都市の日本人家庭の普及率が、ほぼ100%だったのに対し、朝鮮人家庭は約23%にとどまっており、日鮮間に格差があったことも、否定はできないが…。

 朝鮮北部の「水力資源」に目をつけ、朝鮮総督府の認可を受けて、周囲には無謀とも思われた発電所群の建設に乗り出したのは日本の民間の経営者、技術者であった。日窒(にっちつ)コンツェルンの創始者、野口遵や、久保田豊、森田一雄といった先駆的な技術者たちである。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ