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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(16)陸上、野球、ラグビー…

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 ■日本時代に花開いた近代スポーツ

 儒教思想にどっぷりと漬かった朝鮮社会では、伝統的に「文」が「武」よりも上位に位置づけられ、運動やスポーツ的な行為も長く蔑(さげす)まれてきた。朝鮮において、近代スポーツが浸透し、大きく発展するのは日本統治時代のことである。

 独立・抗日を訴えて1919(大正8)年に起きた大規模な騒乱事件「三・一運動(万歳事件)」をきっかけに日本は、それまでの武力・警察力を前面に出した「武断政治」から、緩やかな「文化政治」へと朝鮮統治の方針の舵(かじ)を切る。本格化は、20年代から30年代にかけてだ。

 「東亜日報」「朝鮮日報」など民族系の新聞の発刊が認められ、学校建設が進み、文化・芸術が花開く。外地初の帝国大学となる京城帝大の設立(24年・予科)や朝鮮映画の名作「アリラン」の製作・公開(26年)もこの時期だ。

 そして、陸上、野球、ラグビー、サッカー、テニス…といった近代スポーツもこの波に乗る。体育の協会が組織され、京城(現・韓国ソウル)には、大規模な総合運動場を建設。25(大正14)年からは、陸上、野球、テニスなど5種目(後に20種目超)による「朝鮮神宮競技大会」がスタートしている。

 そのわずか7年後には、米ロサンゼルス五輪(32年)に3人の朝鮮人選手を送り出し、次の独ベルリン五輪(36年)では、マラソンの孫基禎(ソン・ギジョン)(1912~2002年=当時は日本語読みで「そん・きてい」)ら金・銅のメダリストまで誕生させているから、朝鮮民族の運動能力の高さがよく分かる。

 ◆スター揃いの養正高普

 孫の長距離ランナーとしての才能が大きく花開いたのは、京城の養正高等普通学校(旧制中学に相当)に入ってからだ。「陸上の名門」として名を轟(とどろ)かせていた同校には、朝鮮のスター選手が揃(そろ)っていた。ロス五輪マラソン6位入賞の金恩培やベルリン五輪マラソン銅メダルの南昇龍も一時、籍を置いている。

 同校は、朝鮮神宮競技大会など朝鮮内での活躍はもちろん、現在の全国高校駅伝の前身の一つとされる大会でも内地の強豪校を退けて3連覇を達成した。

 19歳で入学した孫はロス五輪代表の座は惜しくも逃したが、ベルリン五輪の前年には“戦前の国体”というべき内地の明治神宮競技大会のマラソンに出場して、当時の世界記録で優勝。ベルリン五輪の“希望の星”として躍り出る。

 このころ、スポーツ熱に取りつかれたのは朝鮮人だけではない。朝鮮に住む日本人も同様だった。日朝混成メンバーで、京城師範ラグビーが全国大会を3連覇(1930〈昭和5〉年~)したことは以前書いた通りである。野球の夏の甲子園・朝鮮地区予選も大正年間に始まり、京城中(旧制)や徽文高等普通ら、日朝のチームが出場を果たした。

 朝鮮神宮競技大会に出場した選手の内訳を見れば、日朝ほぼ半々である。新聞社や専門学校が主催する競技大会も次々と誕生し、日朝の選手がしのぎを削りながら、競技によっては内地をも上回るレベルを短期間に築いていった。

 孫と同世代で、やはり朝鮮の陸上界を沸かせた日本人の名ランナーがいる。マラソンの瀬古利彦や佐々木七恵らを育てた名伯楽・中村清(1913~85年)だ。自伝「心で走れ マラソン、わが人生」によれば、中村は《(京城の)南大門のたもとで生まれた。父親は土建業を営んでおり、数軒隣の金物屋が作曲家・古賀政男さんの家だった》という。

 京城の日本人中学の名門校・龍山中(旧制)に入学して本格的に陸上競技を始めた中村は、龍山鉄道管理局所属で1500メートルの日本記録保持者、土屋甲子雄の目に留まり、頭角を現す。《土屋さんの指導を受けた私は、急速に力をつけ、翌年には朝鮮でトップを占め、(龍中)5年生の夏には、東京の神宮外苑競技場で開かれるインターミドル(中学の全国選手権)の出場権を得た》(同書)

 早稲田大に進んだ中村は、師・土屋の1500メートルの日本記録を破り、36年のベルリン五輪には、マラソンの孫らとともに出場(1500メートル)することになるのである。

 ◆舞踊の崔承喜も祝福

 この頃、マラソン金メダリストの孫と並ぶ、朝鮮人の「超」有名人がいた。「半島の舞姫」と呼ばれた世界的な女流舞踊家、崔承喜(チェ・スンヒ)(1911~69年=日本語読みは「さい・しょうき」)だ。170センチの長身とエキゾチックな美貌で、ピカソやコクトー、川端康成ら内外の文化人を虜(とりこ)にした。ベルリン五輪が開催された年には映画「半島の舞姫」(今日出海監督)が大ヒット、化粧品やお菓子の広告にも登場し、アイドル並みの人気を博している。

 孫が金メダルに輝いた後、京城で開かれた祝賀会に崔が駆けつけ、笑顔で撮った写真が残されている。2人は朝鮮人だけでなく、日本人の中でも「世界に誇る大スター」になった。

 もうひとり、意外な人物も2人のことを書き残している。当時、満州(現・中国東北部)で抗日パルチザン活動をしていたらしい北朝鮮の初代最高権力者、金日成(キム・イルソン)(1912~94年)。彼も同世代である。

 「金日成回顧録5巻」には〈民族の魂を守って〉の見出しでベルリン五輪の表彰台に立つ孫の写真が掲載されている。金は、民族紙「東亜日報」が日章旗を消した孫の写真を掲載して処分された事件に触れ、《孫基禎の競技成果と日章旗抹消事件について、部隊の隊員に話をした。すべての隊員は「東亜日報」編集局のとった愛国愛族の立場と英断に熱烈なる支持を贈った》(同書)と。

 それが事実かどうかは確かめようがない。ただ、この時期の「スポーツ発展の申し子」といえる孫が成し遂げた偉業が同世代の朝鮮人の若者たちを熱狂させ、強烈な印象を刻んだことだけは間違いない。=敬称略、日曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

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