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【話の肖像画】喜劇役者・大村崑(4)育ててくれた花登筐先生

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 もっとも、先生はコメディーだけではなく、40年代に放送されたテレビドラマ「細うで繁盛記」の板前役、「どてらい男(やつ)」の支配人役で、僕の新境地を開いてくださった。喜劇人として育ててくれたのは、まぎれもなく花登先生。若くして亡くなられましたが、今でも毎年、京都市内にあるお墓にお参りをしています。

 〈その後もドラマ、舞台やのど自慢番組、コメンテーターなど活躍の場を広げていく〉

 いろんな人に恵まれました。特に、舞台の夫婦役などでご一緒したミヤコ蝶々先生にはお世話になりました。あの人はその場でせりふをしゃべりながら演出するタイプで、急に筋が変わることがしばしば。でも、そういうのは花登先生のコントで慣れています。稽古は厳しかったけど、楽屋ではゴシップ話が大好き。「お前、あの子とはどうなったんや?」とか、よくからかわれました。

 お世話になったといえば、30年代に戻りますが、東京の大御所で音曲師の柳家三亀松(みきまつ)先生。司会者時代に地方公演でかわいがっていただきました。

 当時の上方では落語や漫才から有名になる人が多かったけど、僕はそれまでになかった劇場コメディーの出身。三亀松先生は「せっかく芽が出たのだから」と心配してくださった。そして、落語家の笑福亭松鶴さんや桂米朝さんといったそうそうたるメンバーを集めて、「崑をいじめるなよ」と言ってくださった。おかげで、そうした皆さんと懇意にさせていただきました。

 他にも、鼻メガネの大先輩、三木のり平先生、渥美清、谷幹一、石井均、藤田まこと、森光子…。お世話になった方を数え上げたらキリがありません。(聞き手 豊田昌継)

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