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【昭和天皇の87年】関東軍総司令部の非情な決断 皇帝溥儀は愕然とした

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【昭和天皇の87年】
関東軍総司令部の非情な決断 皇帝溥儀は愕然とした

画=筑紫直弘 画=筑紫直弘

 満洲の面積は約120万平方キロメートル、現在の日本の国土の3倍に及ぶ。実質8個師団程度にまで戦力が低下していた関東軍ではとても支えられない。早々に朝鮮国境付近に撤退し、通化と臨江を中心とする領域で持久戦を展開しようというのは、事前に大本営とも打ち合わせていた既定方針だった。

 これに愕然(がくぜん)としたのは、皇帝溥儀とその側近たちである。無敵といわれた関東軍が張り子の虎と化していたことを、溥儀は知らされていなかった。

 山田が辞去した後、満洲国政府内では、後方への遷都案に激しい反発が起こった。満系の張景恵国務総理(首相)と日系の武部六蔵総務長官は、国民とともに首都新京に留まるべきだと主張したが、ソ連軍が急速に新京に迫る中、溥儀に選択肢はなかった。

 13日午後、溥儀と皇后を乗せた特別列車が、臨江近郊の大栗子(だいりっし)駅に到着した。近くに鉱業所の社宅などがあるだけの、寒村である。

 その鉱業所長宅が溥儀の“宮廷”となった。溥儀は自伝に、大栗子の印象を「(風光明媚〈めいび〉だが)すべてが私の目には灰色だった」と書いている。

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 もっとも、在留邦人の避難すら進まない中で、軍が撤退することを潔しとしない空気は関東軍内部にもあった。

 満洲西部を守る第3方面軍司令官の後宮(うしろく)淳は、総司令部の意図に反してソ連軍の進撃路に方面軍の全力を集中させ、全滅覚悟で邦人避難の時間をかせぐ決断をいったんは下す。しかし、却って満洲の崩壊を早めると作戦参謀らに説得され、前方決戦案を断念せざるをえなかった。

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