産経ニュース

【話の肖像画】平昌パラアイスホッケー代表・上原大祐(3) 「やれないことはない」は母の影響

ライフ ライフ

記事詳細

更新

【話の肖像画】
平昌パラアイスホッケー代表・上原大祐(3) 「やれないことはない」は母の影響

やんちゃだった子供時代(本人提供) やんちゃだった子供時代(本人提供)

 恐らく、当事者(障害者)を入れてデザインしていないんでしょう。トイレは、鏡の位置が車いすユーザーには高すぎて見えなかったり、「流す」のボタンの場所がまちまちだったり。駐車場には、健常者が止めないように、ポールなどを置いてあることが多い。すると、障害者も止められない(苦笑)。障害者自身が運転してくるという考えが最初からない。介助者が同乗していて、ポールをどけてくれるという意識なんですよ。

 日本社会のバリアフリー化はかなり進み、ハード面では米国より上だと思います。だけど入り口にスロープがあっても、中に車いす用のトイレがなかったりでちぐはぐ。リアルじゃないんですね。

 〈出身は長野県軽井沢町。平成10年の長野五輪・パラリンピックで、ホッケーやカーリング競技を見て、スポーツに魅せられた。パラアイスホッケーを始めたのは19歳のときだった〉

 競技を始めてすぐ「僕に向いている」と思いました。その前に車いすバスケットもやってみたのですが、どうもしっくりこなかった。パラアイスホッケーはどんどん滑れるようになったし、上達のスピードも速かったと思う。2、3年後には日本代表になりましたから。

 16年から18年にかけては、米国のシカゴのチームに呼ばれてプレーしました。当時、世界最高といわれた選手がいて、最高に楽しくてエキサイティングな時間でしたね。

 〈競技生活だけでなく、米社会の障害者に対する意識の高さや考え方の違いを痛感させられることになる〉(聞き手 喜多由浩)

「ライフ」のランキング