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【話の肖像画】相沢病院理事長・相沢孝夫(2) 父の急逝、34歳で副院長に

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 〈正樹氏はその年の7月、胃がんのため65歳で亡くなった。昭和56年8月、正樹氏の弟、前田恒雄氏が慈泉会3代目理事長、相沢病院院長となった〉

 僕は34歳とまだ若いし、叔父は父と一緒にやっていたので理事長と院長に、僕は副院長として全体のまとめ役になりました。博士号を取っていなかったので、病院で働きながら論文を書いて、審査に通って博士号ももらいました。研究と臨床を両方やり、気持ちはまだ中途半端でしたね。

 当時の相沢病院は内科医は僕を入れて4人と小さく、往診にも行きました。亡き父は「患者さんが困っているんだから診に行くのは当たり前だろう」という考えの人。その父を見て育っていましたから、僕も往診は好きでした。家庭の事情だとか人間関係だとか、実際に見て初めて分かることがたくさんある。このとき教えられたことが、在宅医療に力を入れる今の相沢病院の基盤になっていますね。

 〈昭和から平成にかけて、診療報酬(医療機関に支払われる治療費)は改定ごとに右肩上がり。病院はただ同じことをやっていれば収益が上がった。ところが、そんな時代は長くは続かなかった〉(聞き手 道丸摩耶)

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