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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(4)「最後の総督府官吏」の“遺言” 朝鮮人とは仲良くやっていた

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(4)「最後の総督府官吏」の“遺言” 朝鮮人とは仲良くやっていた

朝鮮人の同僚(両端)と(西川氏は右から2人目) 朝鮮人の同僚(両端)と(西川氏は右から2人目)

 西川は、寧越郡の後、さらに規模が大きい原州郡でも内務課長を務めている。

 例えば、戦時の労働動員である「徴用(募集、官斡旋(あっせん)の段階を含む)」は総督府→道→郡→邑(ゆう)・面(町村に相当)のラインで実施された。その“真ん中”にいた西川は募集にかかわり、日本へ向かう朝鮮人労働者を釜山まで送っていった経験もある。「殴る、蹴るで無理やり連行したなんて、とんでもない。ちゃんと面談し、労働条件を示した上で、納得ずくで日本へ働きに行った。給与などの待遇も悪くなかったでしょう」

 西川によれば、当時の朝鮮には、カルボチブ(売春宿)、スルチブ(居酒屋だが、売春婦を置いている店もあった)と呼ばれる店が街ごとにあった。慰安婦になったのはそうした女性が多い。民間人が需要に応じて連れて行ったのである。「もし、日本の官憲が、朝鮮人の若い娘たちを強制連行したならば、通達文書が残っているはずですが、そんなものはないし、私の耳に入らないわけがない。警察官には朝鮮人も多かったんですよ。無理やりそんなことをすれば、大騒ぎになっていたでしょうね」

 終戦時、江原道庁勤務だった西川は道庁所在地の春川に住んでいたが、朝鮮人の民衆から自宅の扉をたたかれることがあったくらいで、略奪や暴行の被害を受けることはなかった。

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