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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(4)「最後の総督府官吏」の“遺言” 朝鮮人とは仲良くやっていた

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 平穏だった社会生活

 朝鮮に渡り、中部日本海側にある江原道(県に相当)産業部に配属された西川は昭和11年、朝鮮総督府の地方官吏養成所の1期生に選ばれる。13の道から計50人、江原道からは西川ら5人、うち2人は朝鮮人だった。「各道を代表してきた若手の秀才ばかり。九州帝大を出た人も2人いました。朝鮮人は全体の半分近くを占め、極めて優秀な人がそろっていました」

 養成所を優秀な成績で卒業した西川は、兵役を経て、28歳の若さで江原道寧越郡の内務課長に任命される。人事や総務を司(つかさど)る枢要ポストで本来は“たたき上げ”が定年前に就くことが多い。上司の郡守(首長)は朝鮮人、郡の上部組織である道の部長クラスも、ほとんどが朝鮮人だった。

 「上司にも部下にも朝鮮人はいましたね。見かけは変わらないし本当に仲良くやっていました。当時を知らない今の人が『怖い、恐ろしい時代だった』などというのはウソですよ。戦争が始まってからも空襲はなく犯罪も少なく物資は豊富で穏やかな生活がずっと続いていたのが真相です。独立運動は“地下”で続いていたのかもしれないが、少なくとも表面に現れることはありませんでした」

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