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【話の肖像画】元プロ野球阪急選手 ロベルト・バルボン(3) キューバ情勢緊迫、帰国不能に

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【話の肖像画】
元プロ野球阪急選手 ロベルト・バルボン(3) キューバ情勢緊迫、帰国不能に

春季キャンプで阪急の上田利治監督(手前右)と談笑=昭和49年2月、高知県安芸市 春季キャンプで阪急の上田利治監督(手前右)と談笑=昭和49年2月、高知県安芸市

 〈来日6年目の昭和35年暮れにキューバへ一時帰国したが、翌36年1月3日に米国が母国との国交断絶を発表。急遽(きゅうきょ)日本へ戻った。当時の産経新聞の取材に「町は戦場のようだ」と、緊迫する首都ハバナの状況を語った。これが37年に米ソ核戦争の危険性が高まるキューバ危機の前触れだった〉

 「アメリカ兵がハバナへ上陸してくる」と噂が流れたのは、はっきり覚えとるわ。海岸には迎え撃つための大砲がずらりと並べられ、周りの皆に「今キューバを出なかったら、もう出られへんかも分からん」と言われたんやな。それで日本へ帰ってきた。実際それからはキューバへ戻れなくなり、両親がいつ亡くなったのかもよう分からん。

 ようやくキューバへ帰れたのは63年のオフ。僕は阪急(現オリックス)の通訳をしていたが、広島の中南米遠征に臨時の通訳として連れて行ってもらい、27年ぶりに母国へ立ち寄った。あまり様子は変わってへんかったわ。野球場も。もちろん両親の墓参りをし、そのとき、まだ元気やったお兄さん3人に会った。僕の顔を見て、皆喜んでくれたわ。

 〈故国が遠くなった一方、実生活では日本女性と結婚。やがて子供も生まれ、第二の故郷に温かい家庭を築いていく〉

 阪急で独身時代、僕は普段宝塚ホテルに泊まってたんやけど、西宮球場(兵庫県西宮市)でナイターが終わってからは毎晩神戸ばっかり行ってたんや。あの時間、酒が飲めるんは神戸しかなかった。僕はビールしか飲まないけどな。いつも夜の11時50分過ぎの最終電車で神戸から宝塚まで帰ってたんや。

 僕の奥さん(妙子さん)は、その神戸のクラブで歌ってたんや。アプローチはこちらから。何か奥さんのこと好きやったわ(照れ笑い)。結婚は37年で、一人娘の名前はマリア。キューバにいた僕の一番上のお姉さんの名をそのままもらったんや。

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