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【話の肖像画】漫画家・矢口高雄(2) 村で初めて高校進学、銀行員に

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【話の肖像画】
漫画家・矢口高雄(2) 村で初めて高校進学、銀行員に

 〈昭和14年、奥羽山脈に分け入った秋田県西成瀬村狙半内(さるはんない)字中村(今の横手市)で、貧しい農家の長男に生まれた〉

 両親と祖父母、叔母2人、弟妹5人と暮らす大家族でした。父は大工。思い出すのは封建的で厳しい祖父と、働きづめの母の姿です。ある時、末の弟、3歳の富雄が百日ぜきにかかり危篤に陥りました。医者のいる町までは20キロ離れている。母は医者へ連れて行きたいと祖父に懇願しましたが、「寝てれば治る」と断られ、弟は亡くなりました。肉親の死を早い時期に目にして僕の人生は変わった。田舎から出たい、漫画家を目指そうと考えたのです。

 僕は行動派で、めちゃくちゃ体験する中から法則を見つけていく少年でした。最初の釣りは、母と一緒に雄物川の支流、狙半内川でやった「カジカの夜突き」。ハゼに似た魚をカンテラ(ランプ)の明かりで見つけて漁具で刺す。本格的な手ほどきは小学校入学前、近所に住むマタギから。イワナやヤマメを釣る餌の選び方、さおの使い方を教わった。僕には遊びというより食卓のおかずを取る仕事。大人に褒められて、他の子供たちにも鼻高々でした。

 漫画に出合ったのは4歳の時、母がくれた「西遊記」です。小学校3年生で、手塚治虫の「流線型事件」にしびれてしまう。擬人化されたウサギやカメが自動車開発を競う物語で、画面の奥から自動車が僕の顔をめがけて来るような迫力に驚きました。それからは寝ても覚めても手塚治虫。屋根ふき用の杉の樹皮を山から運ぶアルバイトで金をため、「ジャングル大帝」の掲載誌を町へ買いに行くのが楽しみだった。まねして絵を描き、ポスターや図画のコンクールに出せば、いつも金賞でした。

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