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【書評】
拓殖大学学事顧問・渡辺利夫が読む『山頭火意外伝』井上智重著 漂泊の句人を受け入れた人々
鉄鉢の中へも霰(あられ) 山頭火
山頭火の人生は深い抑鬱を抱えての行乞(ぎょうこつ)漂泊である。足の滞る日も多い。とある農家の軒先で読経を始めようとした瞬間、米粒のような霰が鉄(くろがね)の鉢の中で真っ白く撥(は)ねた。霰のかすかな響きにふっと心が動かされ、山頭火は歩を進めようと促されたのであろう。たった七文字、五七五という定型に捉われず時空の一瞬を切って写し取った鮮やかな一句であろう。
咳をしても一人 放哉(ほうさい)
山頭火と並ぶ自由律の句人が放哉だが、この句には季語さえない。修辞のすべてを排し七文字だけで、一人死んでゆく最期のどうしようもない悲しみを妖しくも伝えている。自由律句は、河東碧梧桐(へきごとう)、荻原井泉水(せいせんすい)などにより明治から大正にかけての自然主義文学運動の中で生まれた形式である。定型という規範性、季語という情緒性から解放され初めて自然と人生への自由な接近が可能になるという思想であった。『層雲』が自由律句の有力誌である。
しかし、振り返ってみると山頭火と放哉の2人以外に自由律句で才能を開花させた句人は、評者のみるところほとんどいない。なぜなのかはわからないが、やはり定型を破って短律の句を“放り投げ”て読者を惹(ひ)き付けるには、よほど特異な才能が必要だということなのであろう。