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【話の肖像画】バレエダンサー ミハイル・バリシニコフ(2) 母と師匠が育て上げてくれた

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【話の肖像画】
バレエダンサー ミハイル・バリシニコフ(2) 母と師匠が育て上げてくれた

幼少期のミハイル・バリシニコフ(バリシニコフ・プロダクションズ提供) 幼少期のミハイル・バリシニコフ(バリシニコフ・プロダクションズ提供)

 〈1948年、旧ソ連・ラトビアのリガに生まれた。クラシック・バレエへの関心はすでに少年時代に育まれていた〉

 ロシア人の父は第二次世界大戦後、欧州各国の再編成に伴って、ラトビアに派遣されたソ連陸軍の軍人でした。ロシア中部、ボルガ河畔(かはん)出身の母はリガで仕立屋に勤務し、経理を担当していました。洋裁が得意で自分の服は自分で作っていました。飾り気のない女性でした。

 母は芸術全般に興味を持ち、私が子供の頃はオペラや演劇、バレエの公演によく連れて行ってくれました。あるとき、オペラ公演でステージに立つ子供たちを見て、「あの子たちはステージにいるのに、なぜ僕はここに座っているだけなの」と母に尋ねました。私も舞台に立ちたかったのです。母は私がクラシック・バレエの道へ進めるようにと、学校探しに骨を折ってくれました。

 〈母の努力が実を結び、11歳のときラトビアの名門バレエ学校に入学。在学中の64年、16歳のときに国立ラトビアバレエ団のレニングラードツアーに参加。技の精度の高さ、ジャンプの優雅さなどにほれ込んだ団員の一人が、高名な指導者、アレクサンドル・プーシキンに引き合わせた。プーシキンは自身が勤務するロシアの名門「ワガノワ・バレエ・アカデミー」の校長に掛け合い入学させた〉

 プーシキン先生は世界中から留学してきた大勢のバレエダンサーたちに稽古をつけています。その中には、旧ソ連出身のトップスターでパリ・オペラ座の芸術監督も務めた、あのルドルフ・ヌレエフもいました。私はヌレエフの10歳年下ですが、3年間、一緒に勉強しました。

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