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【話の肖像画】東京ガス会長・岡本毅(4) 「a」か「the」かで大激論

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【話の肖像画】
東京ガス会長・岡本毅(4) 「a」か「the」かで大激論

インドネシアのLNG精製施設を視察(左から2人目)=平成4年(本人提供) インドネシアのLNG精製施設を視察(左から2人目)=平成4年(本人提供)

 〈都市ガスの原料となる液化天然ガス(LNG)を調達する「原料部」に約15年間、所属した。調達畑を歩むきっかけとなったのが、昭和52年6月から3年間の中東経済研究所(現・日本エネルギー経済研究所)への出向だった〉

 45年の東京ガス入社から7年が過ぎ、本社や現場を経験して、「会社の外の空気が吸いたい」と思っていたときに、上司から中東研のポストが空くと打診を受け、喜んで希望を出しました。おかげで、53年の第2次石油危機や55年のイラン・イラク戦争勃発など、中東が一番混乱している時期にいろいろと勉強できました。当時は中東の専門家が少なく、研究所に所属して1、2年目から、ずいぶん取材や寄稿を引き受けました。

 初めて海外出張したのは52年の暮れです。中東・アフリカの資源調査として、約1カ月かけてテヘランやクウェートを経て、ケニア、アルジェリアなどアフリカ諸国をまわりました。55年にも東南アジアと中東の調査で、インドネシアやタイ、カタール、ドバイなどを約1カ月かけて回りました。

 当時、カタールの首都ドーハの空港は、田舎の駅みたいに寂しいもので、街にも4階建てのホテルがあるぐらい。予約したはずのホテルで予約がないといわれるなど大変な旅でしたが、充実した3年間で、エネルギーの要である石油を切り口に世界を見ることの大切さが身にしみて分かりました。

 〈55年に東ガスに復帰し、配属されたのが原料部だった〉

 原料部は仕事がきついので有名でしたから、中東研で3年間遊ばせてもらった報いかな、と感じました。当時、東ガスは米アラスカ、ブルネイに次ぐLNG調達先として、マレーシアの国営石油会社と交渉している真っ最中です。東ガスが年260万トン、東京電力(当時)が480万トンという大規模なプロジェクトを部長以下4人のチームで担当し、私が一番の下働きでした。

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