産経ニュース

【国語逍遥(88)】絵解き 伝統の「語り芸」に酔った 清湖口敏

ライフ ライフ

記事詳細

更新

【国語逍遥(88)】
絵解き 伝統の「語り芸」に酔った 清湖口敏

 「高野山が女人禁制でなかったら、石童丸も母も父に会えたであろうに」。子供心に突き刺さった悲しみが、竹澤さんの絵解きを聴くうちに蘇(よみがえ)ってくるような気がした。ただ、今の私はむろん子供ではなく、同時に、絵解きというすばらしい「語り」に陶然と酔うこともできたのである。

 〈これが母子(おやこ)今生の別れになろうとは、神ならぬ身には知るよしもなく、心細道ただ一人村過ぎ川渡り谷越えてはるばる登れば、日は入合(いりあ)いの不動坂…〉

 母を残して石童丸が山を登る場面だ。父子の別れでは〈親は子を知り、子は親を知らず。愛(いと)し吾子(わがこ)を前にして、名乗れぬ父の悲しみは、泣いて血を吐くほとゝぎす〉。台本を声に出して読んでみると、詞章の洗練された修辞、巧みなリズムが魂にまで響くようだ。決して難解ではなく、かといって俗に流れてもいない。それを抑揚豊かに朗誦(ろうしょう)する絵解きは明らかに、説経節や義太夫節、謡曲、講談、浪曲といった語り芸と同じ系譜にあることが分かる。

 竹澤さんは「苅萱~」のほか「十王巡り」「六道地獄絵」の絵解きも演じた。こちらは「苅萱~」と違って軽妙かつ当意即妙の趣があり、面白く聴ける。三途(さんず)の川を渡った亡者が裁判で生前の悪行を言い立てられると、「記憶にございません」…。どこかで聞いたふうな弁解が会場の笑いを誘う。世相を斬る饒舌(じょうぜつ)も「苅萱~」にはなかったもので、それぞれの絵解きの味比べもまた一興か。

続きを読む

「ライフ」のランキング