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【話の肖像画】小児外科医・吉岡秀人(2) 原風景は吹田の地下道

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【話の肖像画】
小児外科医・吉岡秀人(2) 原風景は吹田の地下道

母、末子さんに抱かれる幼い日の吉岡秀人氏。大阪府吹田市で多感な時期を過ごした=昭和41年(ジャパンハート提供) 母、末子さんに抱かれる幼い日の吉岡秀人氏。大阪府吹田市で多感な時期を過ごした=昭和41年(ジャパンハート提供)

 〈昭和40年、大阪府吹田市で生まれた〉

 実家は車の部品の縫製工場でした。近所のおばちゃんがいっぱい働きに来ていたんですよ。だけどオイルショック以降は零細企業が切られていって、僕が高校生の時に廃業しました。中学生の時に母親が小料理屋を始めて、そのお金で生活していました。

 〈45年、日本万国博覧会(大阪万博)が行われ、会場の吹田市周辺はお祭りムードに包まれていたが当時5歳の少年は“陰”にも視線を向けていた〉

 大阪万博では世界中から人が来ました。一方で、当時の国鉄、今のJR吹田駅前の地下道は物ごいだらけでした。傷病軍人の人たちですね。豆電球みたいな明かりしかないジメジメしたところにゴザを敷いて軍服を着て、つえをついたりゲートルを巻いたりしていました。華やかな万博の横で、まだ25年前の戦争の時代を生きている人たちがいたんです。

 その後、中学生のころになると、世界を見渡せば、中国では文化大革命で何千万人も死んでいました。カンボジアでは旧ポル・ポト政権による大虐殺が行われ、韓国は軍事政権時代でした。飛行機で数時間の距離、同じ国の中でも十数年という時空のわずかなズレだけで、人の運命がこんなに変わるんだということに気付いたんです。そういう人たちのために、何かしてあげたいと思うようになりました。

 〈もっとも、医者になろうという決心を固めたのは大学受験のころだった〉

 高校では全然勉強しなかった。大学受験は当然、落ちるじゃないですか。当時は文系だったんですが、失敗したときに振り返ったわけです。僕は今まで何をしなければならないと思っていたんだろう、と。そう考えたときに、吹田駅前の地下道の風景や、中学生のときに考えたことが思い浮かぶわけです。では、何をしたらああいう人たちのために働けるんだろう。そう思ったとき、本当に単純に医者になろうと決めたんです。

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