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【小山評定の群像(87)】前田慶次 撤退戦で奮戦した「大ふへん者」

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【小山評定の群像(87)】
前田慶次 撤退戦で奮戦した「大ふへん者」

前田慶次所用と伝えられる具足(宮坂考古館蔵)

 関ケ原の戦いの同日、1600(慶長5)年9月15日、直江兼続(かねつぐ)率いる上杉軍が山形城南西8キロの長谷堂城を包囲した。奥羽出羽合戦最大の激戦となった長谷堂城の戦いだ。

 上杉軍は3万6千の大軍で三方から山形を攻め、支城を落としながら最上義光が守る山形城を目指す。その手前で、堅固な山城、長谷堂城が持ちこたえ、9月末、両軍に関ケ原の結果が伝わると形勢は逆転した。上杉軍はただちに撤退を始める。

 最上義光歴史館(山形市)のサポーター、松本芳雄さんは奥羽出羽合戦の戦場、上杉軍進軍・撤退ルートを現地調査。「兼続は知将というけど、大軍ながらも攻めきれず、味方を置いて撤退した」と指摘。連絡兵が途中で捕縛されたのだろうか。北方から谷地城を攻略した下(しも)秀久の別働隊には連絡がなく、敵中で孤立。これがきっかけで秀久は最上氏の家臣となるのだが、これは別の話。

 長谷堂城からの撤退戦で奮闘したのが、かぶき者・前田慶次だ。朱塗りの槍を振り回して奮戦。鉄砲隊の効果的な反撃もあり、最上軍をしばしば追い返した。同館展示の義光の兜にも銃弾を受けた跡が残る。

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