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【追悼】佐木隆三さん 文学として深めた犯罪小説 作家・古川薫

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【追悼】
佐木隆三さん 文学として深めた犯罪小説 作家・古川薫

裁判傍聴後、質問に答える佐木隆三さん=平成17年、福岡地裁小倉支部

 関門海峡を見下ろす福岡県北九州市門司区の風師山(かざしやま)中腹にある佐木隆三の書斎には、しばしば足をはこんで酒を振る舞われた。

 郷里に骨を埋めるつもりの彼から、平成18年、新築したこの書屋に名をつけろと命じられ、僕は風師山の「風」、林間を透かして望む海峡の景色にちなみ「林」、あとは漱石山房からとって「風林山房」とし、秘蔵していた栴檀(せんだん)の厚板に大書、篆刻風に彫りつけた。玄関横の板壁に取り付け、隆三も気に入ってくれたようだ。

 酒房「風林山房」での深酒は、昨年の晩秋に訪れたときが最後になった。ムシが知らせるというのだろうか、隆三がスクラップブックを取り出し一枚の写真を僕にしめした。昭和42年の正月、同市若松区の高塔山にある火野葦平文学碑の前で撮った記念写真だ。新進作家、8人の男たちが笑っている。最前列で野呂邦暢と僕が腕を組み、その後ろで長谷川修がコートのポケットに両手を入れて立ち、その左に隆三ほか4人が重なりあって並んでいる。

 このときから7年後に野呂が芥川賞、その2年後に隆三が直木賞、それから3年後、長谷川は芥川賞候補に4度あがったところで肺がんに襲われて逝き、翌年、野呂が突然死でそれを追った。42歳だった。他の者も次々に他界した。

 ひとり気を吐いたのは『復讐するは我にあり』で受賞した隆三である。およそ15年、彼に遅れて直木賞に追いついた僕などは、そばにも寄れない仕事ぶりだった。僕は隆三より12歳も年上だが、弟のように大男の彼を慕った。

 鈍足のランナーの伴走をするように、隆三は僕を励ます。やや酒乱の癖(へき)があり、無法松のように気は荒いが、優しい男だった。僕の何度目かの落選のときはニューヨークから電話して慰めてくれたりもした。

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