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【オリンピズム】共生社会って何だろう…(2)太陽の家なんか、なくなれ

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【オリンピズム】
共生社会って何だろう…(2)太陽の家なんか、なくなれ

1964年パラリンピック東京大会で選手宣誓する青野繁夫氏と、後方で付き添う中村裕医師(「太陽の家」提供)

 JR日豊線・亀川駅西口を出て5分、住宅地の先に「太陽の家」はあった。

 事務局や在籍者住居のある本館、共同出資会社や協力企業の工場・事務所、職能訓練も兼ねた作業所やカフェ、体育館やプールなどのスポーツ施設にスーパーマーケットや銀行まで、約2万6千平方メートルの敷地はひとつの町だ。案内する人事・広報課長の四ツ谷奈津子でさえ「全部を見て歩くのは大変」と話す。

 1965年10月、別府市大字内竈の地に障害をもつ15人が働く「家」は生まれた。木工、義肢装具、洋裁に車椅子、竹工。地元企業からの仕事を請け負った。

 創設者の医師、中村裕は「障害者には保護より機会を」と断じ、障害者が「有給就職し納税者となる」社会を夢見た。いや、夢の実現に私財をなげうち、関係各所に熱く働きかけた。

 「太陽の家」と命名した作家の水上勉は、脊椎に障害をもって生まれた次女の治療を受けた縁で生涯、中村を支援し続けた。評論家の秋山ちえ子は「応援団」を自任、井深大や本田宗一郎、立石一真ら大物経営者を中村に紹介している。

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