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【「近代日本」を診る 思想家の言葉】
三木清 悲哀の時代に「古典」を精読

大正末期、乾燥し冷えきった深夜のパリの片隅で、ひとり涙ながらに繙(ひもと)いた『パンセ』がおしえる「人間」とは、このような悲哀に満ちていた。だが、はたして、人はこのような不安定に耐えられるのだろうか。三木はパスカルに対してこう問いただす。たとえば孤独なとき、人は誰かとの愛をささやくことで、つかの間気分を紛らわすことができるはずだ。しかしパスカルはそうは答えない。「我々は我々の裡(うち)にあり然(しか)も我々ならぬものを愛する外ないのである…我々はこの存在即(すなわ)ち神を愛する外ないのである」。いかにも西洋の思想家らしく、パスカルは神、という処方箋を示したのだった。
三木は帰国後、日本国内で流行するマルクス主義を受容した数々の論文を発表し、時代の寵児(ちょうじ)となった。近衛内閣のブレーンとして、哲学を現実社会に応用することも試みた。しかし最晩年、三木の絶筆が親鸞(しんらん)に関するものだったことに注目すべきだ。つまりパスカルとはまったく違うかたちで、三木もまた宗教哲学へと近づいていったわけだ。
パスカルであれ親鸞であれ、古典だけを前に、これだけの精神のドキュメントがあったことを、せめて秋の夜のひととき、思いだしたいものである。
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次回「小林秀雄」は11月19日に掲載します。
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