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【「近代日本」を診る 思想家の言葉】三木清 悲哀の時代に「古典」を精読

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【「近代日本」を診る 思想家の言葉】
三木清 悲哀の時代に「古典」を精読

哲学者・三木清

 そのヨーロッパの地に、大正11年、三木は降り立つ。ドイツ哲学を原典で読みあさり、戦後不安を言葉で表現している姿に感動し、日々勉強に明け暮れた。ドイツ留学を終え、短期間のつもりで訪れた花の都パリで、ふと手にした書物が、三木の人生を変える。フランスの思想家パスカルの『パンセ』がそれである。現在でも文庫で手軽に読める古典中の古典を、三木はフランス語の練習のために手にしたのだ。

 しかし衝撃は想像以上のものだった。ドイツで学んだ哲学的知識が、パスカルの言葉を生き生きとよみがえらせてくれる。勉強すべてが総合され、自分がずっと考えてきたことが、みるみる明らかになるように思えた。

 三木が追い求めた問題、それは哲学的人間学である。それはほかならぬ「人間とは何か」という問いのことだ。パスカルもまた人間を考えつづけ、この書を書いていると思えた。

 パスカルは言う、「人間とは中間者」であると。どこにも、何にも所属することができない。確実なものなど何もないことを知りつつ生きる存在、それが人間なのだと。

 「夕の闇は私を悲哀に引入れ、夜の闇は私を不安に陥れる。普通には情緒若くは感情と見做(みな)されてゐるこれら凡(すべ)てのものは、この場合心理学上の概念ではなく、却(かえつ)て人間の存在論的なる原本的規定である。従(したがひ)て私はそれを人間的存在の状態性と名附けようと思ふ…状態性とはまさしく世界に於(お)ける我々の『存在の仕方』、あるひは我々が世界に『出逢(あ)ふ仕方』に外ならない」(『パスカルにおける人間の研究』)

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