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【小山評定の群像(72)】鎌倉の名門、戦乱に消える 塩谷惟久

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【小山評定の群像(72)】
鎌倉の名門、戦乱に消える 塩谷惟久

お丸山公園となった大蔵ケ崎城跡。喜連川スカイタワーは閉鎖=栃木県さくら市喜連川

 塩谷氏の本拠、川崎城(矢板市川崎反町)を建てた塩谷朝業(ともなり)(1174~1248年)は和歌の名手で、鎌倉幕府3代将軍、源実朝とも歌を送り合った。矢板市のキャラクター「ともなりくん」のモデルでもある。だが、塩谷氏の戦国時代はそんなのんびりした話はない。

 実家の川崎系塩谷氏と、養子に送られた先の喜連川系塩谷氏の統一を図り、川崎城の兄を殺害した塩谷孝信は、薄葉ケ原の戦い(1585年)で奮戦した翌年に死去。北条氏に対抗する宇都宮氏から、苦労して那須氏寄りにシフトチェンジしたが、時代は目まぐるしく変化する。

 跡を継いだ惟久は、豊臣秀吉の北条氏討伐の際、小田原参陣が遅れて領地を失った。秀吉の怒りを恐れ、逃げ出したと不名誉な伝承もある。

 那須与一伝承館学芸員の前川辰徳さんは、大蔵ケ崎城(さくら市喜連川)を追われた惟久が「最後の塩谷氏当主」との見方だ。孝信に殺害された兄、義孝の系統、川崎系塩谷氏も残っており、後に佐竹氏家老として江戸時代も続いていくが、孝信に川崎城を追われた時点で城主としての権勢は失い、残党勢力といった規模だったとみている。

 塩谷氏の両系統は戦乱の中、霧散し、史料も少ない。ただ、城跡は今も見応えがある。

 川崎城跡公園は空堀や本丸、二の丸の跡が残り、巻き貝のように旋回している順路は堅固な城だったことを想像させる。東側に矢板の市街地が広がり、反対側はほぼ真下に東北自動車道が走る。一方、大蔵ケ崎城跡はお丸山公園になっている。園内の喜連川スカイタワーは東日本大震災などの影響で閉鎖。園内の立ち入りもようやく部分的に再開された。

 ■塩谷惟久(しおのや・これひさ) 生没年不詳。父は塩谷孝信。子の弥七郎は縁続きの水戸藩付家老(つけがろう)・中山氏を頼り水戸藩士となるが、断絶。

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