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【本郷和人の日本史ナナメ読み】(64)信康の遺児が結んだ2家の縁

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【本郷和人の日本史ナナメ読み】
(64)信康の遺児が結んだ2家の縁

束帯の本多忠勝像(模本、東大史料編纂所蔵)

 江戸幕府が成立する頃、平八郎忠勝系の本多家は、小笠原家と深く結びついていました。本多家は松平=徳川家に代々仕えてきた家。小笠原家は清和源氏の名門。鎌倉時代初めから信濃の守護を務めて大きな力を持ち、有名な「小笠原流礼法」(その根幹には騎射の技術がある)を育んだことでも知られます。2つの家はどこに接点があったのでしょう。

 答えは家康の長男、松平信康なのです。織田信長の命によって(と、ぼくは考えたい)彼が自害したとき、信長の娘・五徳姫との間に2人の女子が遺(のこ)されました。五徳は織田家に帰り、2人の姫は祖父の家康によって育てられた。家康はやがて彼女たちを嫁に出した。姉の登久姫(1576~1607年)は小笠原秀政に。妹の熊姫(1577~1626年)は忠勝の長男の忠政に。

 両家のご縁はこれに留(とど)まりません。熊姫が産んだ亀姫(1597~1643年)は曽祖父・家康の養女として、登久姫の長男・忠脩と結婚するのです。いとこ同士での婚姻です。こうした縁組を見ると、非業の最期を遂げた信康の忘れ形見2人を、家康がずっと気にかけている様子が分かります。このことからしても、家康が信康の死を望んでいたとは、ぼくには思えないんだけどなあ。

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