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【本郷和人の日本史ナナメ読み】(62)家康に信康切腹を望む理由なし

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【本郷和人の日本史ナナメ読み】
(62)家康に信康切腹を望む理由なし

伝毛利元就画像(模本、東大史料編纂所蔵)

 さて、何回か名前の話で時間をいただいていたのですが、いよいよ信康の自害の話をしなくてはなりません。この事件の経緯については、従来は大久保彦左衛門が書いた『三河物語』の記述をもって語られていました。

 すなわち、信康の妻である五徳(徳姫)が自分と信康の不和、築山殿(信康生母)の武田家への内通を父である信長に訴えた。信長は事情を徳川家重臣・酒井忠次に尋ねたところ、忠次は信康を弁護せず、すべて事実と認めてしまった。そのため信長は家康に、信康の切腹を命じた。家康は心ならずもこの下命を受け入れ、天正7(1579)年8月末、まず築山殿を殺害。つづいて9月15日、二俣(ふたまた)城(浜松市天竜区)に謹慎していた信康に対し、切腹を命じた、というのです。

 最近、実は信康の死を願ったのは信長ではなく、家康本人だった、という説が取り沙汰されています。父子のあいだがうまくいかなくなり、徳川の家臣団も浜松の家康派と岡崎の信康派に分かれて反目しあっていた。家中を一つにまとめるために、家康は信康の排除を望んでいた、というのです。

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