産経ニュース

【夫婦の日本史 第91回】王朝時代にもあった「純愛」

ライフ ライフ

記事詳細

更新

【夫婦の日本史 第91回】
王朝時代にもあった「純愛」

藤原定子の鳥戸野陵(とりべののみささぎ)。年明けに降った雪に覆われていた=京都市東山区今熊野泉山町(筆者撮影)

 残る選択肢は道長か伊周かだった。愛する定子を思うと、兄の伊周に継がせたい。しかし母、詮子をはじめ宮廷の多くは、道長を推している…。一条天皇は苦悩のあげく道長を選んだ。

 「叔父と甥(おい)の争い」に勝利した道長が以後、順調に政権を掌握したのに対し、伊周には厳しい道が待っていた。恋の誤解から花山上皇に矢を射掛けるという不祥事も起こし、完全に失脚してしまう。

 より苦しんだのは、定子だったかもしれない。責任の一端を負うように出家したが、天皇からの愛情は変わらなかった。定子は3度にわたり懐妊し、皇子も1人(敦康(あつやす)親王)産む。

 一条天皇については、公家社会の安定を第一に考える「英明の天子」だったと、歴史的評価が高い。事実、一条朝は25年もの長期にわたって続き、『源氏物語』に代表される優れた文化も生み出した。

 その一方で、定子に対する愛情という点では、頑固なまでに我意を通した。それは「私たち近代人の純愛に近い」という研究者(山本淳子・京都学園大教授)もいるほどだ。

 このことは、道長の娘・彰子(しょうし)が12歳で入内(じゅだい)したあとも、変わらなかった。しかし定子は長保2(1000)年12月、2人目の内親王(ないしんのう)を出産したあと、命を落としてしまう。25歳という短い生涯だった。

「ライフ」のランキング