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【夫婦の日本史 第91回】王朝時代にもあった「純愛」

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【夫婦の日本史 第91回】
王朝時代にもあった「純愛」

藤原定子の鳥戸野陵(とりべののみささぎ)。年明けに降った雪に覆われていた=京都市東山区今熊野泉山町(筆者撮影)

一条天皇(980~1011年) 藤原定子(976~1000年)

 藤原道長、清少納言、紫式部という3人の天才が出現した時代、世を治めていたのが一条天皇である。そして彼の最初の妻にして最も愛した女性が、藤原定子(ていし)であった。

 天皇は円融(えんゆう)法皇が残したただ一人の皇子で、花山(かざん)天皇の突然の出家により7歳で即位した。むろん政治をみることはできず、伯父の藤原道隆が摂政をつとめた。そして元服直後の11歳で、道隆の娘・定子を中宮に迎えた。4歳年上の后である。

 大人に囲まれて育った天皇だったから、同世代の定子から受けた影響は計り知れなかった。定子は教養豊かで、清少納言ら有能な女房も集まった。天皇を囲んで才気あふれるサロンができあがったことは、『枕草子』でよく知られる。

 ところが、正暦(しょうりゃく)6(995)年4月、政権担当者の道隆が病没してしまった。道隆には道兼、道長らの弟のほか、22歳になる嫡男の伊周(これちか)がいた。だれが摂関を受け継ぐのか。宮廷社会の緊張は高まった。

 裁定に関与したのは円融法皇の未亡人で天皇の母、藤原詮子(せんし)(東三条院)だった。「伊周は若すぎる」と指摘し、関白は道兼に譲られた。しかしその道兼も、7日後に亡くなる。

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