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【書評】書評家・倉本さおりが読む『甘美なる作戦』イアン・マキューアン著、村松潔訳

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【書評】
書評家・倉本さおりが読む『甘美なる作戦』イアン・マキューアン著、村松潔訳

『甘美なる作戦』イアン・マキューアン著、村松潔訳(新潮社・2300円+税)

■ありったけの読書の愉楽が

 書いた者と書かれたモノ。

 人と本をめぐる関係性はなかなかに複雑だ。とりわけマキューアンのように「書く」ことにおそろしく自覚的な作家は、ページの隅々に企(たくら)みを施し、両者のつながりをくるりとひっくり返してしまう。でも、目の前に並んだ言葉の世界を享受する愉(たの)しみ-これだけはもう、絶対に「読者」のものと決まっている。

 舞台は1970年代初頭、冷戦時代の英国。主人公セリーナが所属する諜報機関MI5で、荒唐無稽なプロジェクトが発足する。有望な新人作家に工作員を接近させ資金援助を行いながら、共産勢力の抑止力として育成しようというのだ。だが、「スパイ」と聞いて007のような絢爛(けんらん)たる毎日を想像したら大間違い。セリーナは確かに美人だけれど、特技といえば小説の早読み(文学的な解釈は二の次)くらいで、学生の頃からどうにも挫折続き。母親の期待を裏切れず数学科に進んだはいいが、早々に落ちこぼれ、不倫相手の教授にも理不尽に捨てられる始末。その教授のコネでMI5に就職したものの、与えられたのは退屈な事務作業となけなしの生活費のみ。

 人として認められたい。女として褒められたい。ここにいるスパイはどこにでもいる女の子なのだ。そんなセリーナの前に、くだんの「任務」という白馬に乗った王子様-新進作家のトムが現れたからさあ大変。窓際のスパイは危ういシンデレラへ、しょっぱい仕事小説はベタベタの恋愛小説へと変貌を遂げていく。

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