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【解答乱麻】
戦後70年、道徳教育に魂入れよ 武蔵野大教授・貝塚茂樹
貝塚茂樹氏
中央教育審議会は、昨年10月に「特別の教科 道徳」の設置を骨子とする「答申」を文部科学大臣に提出した。これによって、道徳の「教科化」が実質的に決定したことになる。「戦後70年」の悲願ともいえる「教科化」が制度的に達成された意義は大きい。
ところが、今回の「教科化」によって、道徳教育の「形骸化」が解消されたかといえば、問題はそれほど単純ではない。残念ながら、「答申」からは、「特別の教科 道徳」を設置することで「何が変わるのか」「どう良くなるのか」という強い「メッセージ」が伝わってこない。
たしかに「答申」は、検定教科書の導入を提言し、授業の指導法にも積極的な提言を盛り込んだことは大きな成果である。しかし一方で、道徳の「専門免許」は見送られ、大学での教員養成改革への実質的な提言はない。これで本当に「形骸化」が克服できるのか。私には疑問である。
そもそも、道徳教育の「形骸化」とは、学校での授業が機能していない、ということを意味するだけではない。むしろ、問題なのは、道徳教育をめぐる制度的で構造的な状況の中にこそある。
なかでも、道徳教育の理論研究の「貧困」は、「形骸化」の元凶である。それは、道徳が教科でないことで、大学に道徳教育を専門的に研究する講座や専攻分野がほとんどないことに起因する。
そのため、道徳教育の研究者は極めて少数であり、道徳教育の専門でない教員が大学の講義を担当することは決して珍しくない。大学の教員養成は免許と連動するため、教科ではない道徳教育の研究者がいなくても特別に支障がないのである。
また、教員免許を取得するために必要な道徳の単位数は2単位程度である。それだけでも不十分なのに、専門外の教員が講義を担当するわけであるから、教員養成が空洞化するのは当然である。
