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【本郷和人の日本史ナナメ読み】
(57)「家康の後家好み」実態は?
京都市伏見区の清涼院に伝わるお亀の方の肖像(模本、東大史料編纂所蔵)
松平信康を自害させたかったのは、通説では織田信長ですが、そうではない。実父の徳川家康なのだ、という説があります。でもぼくは賛成できない。なぜならば、と反論を記してきました。1、酒井忠次のその後。2、徳姫のその後。今月は最後の3、家康と子づくり(補足…家康の後家好み)を取り上げてみましょう。
何回か前にも記したように、2代将軍の秀忠と信康とは相当の年の差があります。家康の子を男女を問わず並べてみると、秀忠まではこんな感じ。父の家康の誕生は天文11(1543)年12月26日です(年齢表記は数え年)。
長男の信康…誕生は永禄2(1559)年3月、生母は築山殿。家康が17歳▽長女の亀姫…誕生は永禄3(1560)年6月、生母は築山殿。家康が18歳▽次女の督姫…誕生は永禄8(1565)年11月、生母は西郡局。家康が23歳▽次男の秀康…誕生は天正2(1574)年2月、生母はお万の方。家康が32歳▽三男の秀忠…誕生は天正7(1579)年4月、生母は西郷の局。家康が37歳。
そして秀忠が生まれたこの年、天正7年9月15日に、信康は自害します。
家康の体力は老いてますます盛んで、50代(当時でいえば老年)になって、年若い側室を置いた。水戸黄門のお父さん、徳川頼房などは61歳の時の子です。いまぼくは54歳ですが、ただただ脱帽するばかりです。でも、それを思うと、普通は体力があり余る20代、30代に、彼にはあまり子が生まれていません。体質が変わったのでしょうか。
