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【話の肖像画】作家・西村京太郎(83)(3)

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【話の肖像画】
作家・西村京太郎(83)(3)

テレビドラマになった自作の出演者らと(写真中央)

 ■29歳で役人を辞め作家の道へ

 終戦後は進駐軍の基地で荷物運びのアルバイトをしました。米兵は親切でチョコレートとかをくれたのですが、英軍の基地では何もくれませんでした。

 東京都立電機工業学校(東京府立電機工業学校の後身)に復学し、卒業後は公務員試験に合格して、18歳で現在の人事院の前身である臨時人事委員会に正式採用されました。でも、GHQ(連合国軍総司令部)が出した英文の指令を外務省が訳して仕事の内容が決まるまでは何をするか分からない。

 <そのころは、作家として生計を立てようという考えはなかったが、職場の仲間が出していた同人誌「パピルス」に参加する>

 「パピルス」は1冊20ページほどで、自分は製本の手伝いが中心でしたが、19歳くらいのときに「√2の誘惑」という一文を書きました。29歳で仕事を辞めるまで、「パピルス」に書いたのはこの一つだけ。作品といっても小説ではなく、A4判の2ページくらいで、「√2」が特別な数字であるということを書きました。

 当時は作家になる気なんてなく、友達に1人すごいのがいて、そいつが作家になるものだと思っていました。結局は作家になりませんでしたけど。

 中学1年の夏休みのとき、疎開という形で群馬県高崎市に住む親類の元で過ごしたのですが、この家には本が2冊ありました。1冊は陸軍軍人だった桜井忠温の「肉弾」で、もう1冊はミステリー作家の甲賀三郎が書いた「姿なき怪盗」。毎日読んでいたけど、このうち特に「姿なき怪盗」の方が面白くて、何回も読みました。このときの経験が今につながっているのかもしれませんね。

 また、同じ中学生のとき、顔が喜劇役者の榎本健一に似ていて“エノケン”とあだ名された20代の若い国語の先生がいました。この先生は「おれは芥川賞を取る」が口癖で、よくこの先生のアパートに行き、原稿用紙を作ってあげていたのです。その先生は「音楽を字で書く」という内容の小説を書いていましたね。

 <昭和35年に29歳で人事院を辞め、作家の道を志す>

 課長に「結婚しろ」「用意した人がいるから見合いしろ」と言われ、このまま結婚したら辞められなくなるけど、自分は役人には向いていないと思ったのです。それで、作家になろうと考えました。

 このころ、松本清張さんが書かれた「点と線」を2時間で読み、「これくらいなら自分にも書けるな」と思ったのです。退職金などで2年ほど暮らせば、その間に何とかなるだろうと考えたのですが、この考えは甘かった。簡単に読めるのなら簡単に書けると思ったのですが、書くのと読むのとはちょっと違った。(聞き手 小野晋史)

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