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【70年目の夏 大戦の記憶(3)】激戦のルソン島「なぜ自分が生き残ったのか」

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【70年目の夏 大戦の記憶(3)】
激戦のルソン島「なぜ自分が生き残ったのか」

 激しい戦いが始まった。樹木の生い茂るジャングルでは、小銃弾は樹木などの障害物で10メートルも真っすぐ飛ばなかった。「これで戦えるのか」と思ったが、杞憂(きゆう)だった。米軍の激しい砲撃はジャングルを丸裸にしていったからだ。木々が吹き飛ばされることで開ける視界。同時に、多くの部下の命が奪われた。

 戦局が厳しくなると、日本軍で、ある戦法が頻繁に行われるようになった。小銃や手榴弾(しゅりゅうだん)を手に、敵の陣地に忍び寄って攻撃する「切り込み」だ。「多くの兵を失って誠に申し訳ない。自分は敵陣に切り込み一矢を報いる覚悟」。大井さんもこう記した紙を残して切り込みに向かったが、途中で米軍に発見され、激しい銃撃を受けた。

 負傷したのは、連隊長から帰隊指令が届き、一時退いた直後のこと。1発の砲弾がすぐそばで着弾、破片が左脇腹に食い込んだ。軍医はいたが、治療する器具も薬もない。破片は運良く肋骨(ろっこつ)で止まっていた。「もう少し深ければだめだった」。軍医はそう言い、三角巾を傷にあててくれた。

 連隊は残存兵を再編、大井さんに数十人の兵士を渡し、配置につくよう命令を下した。いつの間にか、敵の追撃を受ける殿(しんがり)部隊となっていた。もはや食べ物はない。河原でサワガニを捕まえたが、集まったのは飯盒(はんごう)に半分程度。それを全員で分けた。誰もがどんどん衰弱し、餓死者も出た。弱った者は、その場に置き去りにした。「そうせざるを得なかった」。終戦を知り、武装解除に応じたのは玉音放送から1カ月が経過した9月16日。この時残っていたのは大井さん以下、わずか6人だけだった。

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