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【70年目の夏 大戦の記憶(3)】激戦のルソン島「なぜ自分が生き残ったのか」

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【70年目の夏 大戦の記憶(3)】
激戦のルソン島「なぜ自分が生き残ったのか」

 昭和19年11月。陸軍鉄道第8連隊の将兵を乗せた数隻の貨物船が、フィリピン・ルソン島のマニラ湾に到着した。当時、同連隊の中隊長として200人以上を率いていた元陸軍中尉、大井彰三さん(94)=静岡県牧之原市=は、目の前に広がる風景に、驚きを隠せなかったという。

 湾の海面から飛び出した多数のマストや煙突。いずれも湾内で沈められた日本の艦船だった。前任地のスマトラ島では、そこまでの戦況悪化は伝えられなかった。「中尉といっても、当時は本当のことは何も教えてもらっていなかったということだ」

 しかし、それは、これから始まる地獄の戦いの序章にすぎなかった。最終的に21万人を超える戦死、戦病死者を出したルソン島の戦い。生き抜くにはあまりにも厳しい戦場だった。

「バレテは死の山だ」

 鉄道連隊は戦地で鉄道の建設、修理などを行い、兵員、物資の輸送活動を行うことなどが主な任務だ。大井さんらも、ルソン到着後は、決戦のため次々と揚陸される各部隊を鉄道で連日輸送していた。

 しかし20年1月6日、米軍の激しい艦砲射撃で火ぶたが切られると、いや応なく前線へ。その後、「第10師団の指揮下に入れ」との命令が下った。行き先は島内陸部のバレテ峠。島の南北をつなぐ要衝で、米軍の北上を防ぐ重要拠点だった。

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