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【満州文化物語(9)】花開いた野球 熱狂の「実満戦」 都市対抗で最強だった

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【満州文化物語(9)】
花開いた野球 熱狂の「実満戦」 都市対抗で最強だった

 ■都市対抗で3年連続優勝

 大連の野球はかつてどこよりも強かった。

 まだプロ野球創設前の時代。2つのチーム、満鉄中心の「大連満洲倶楽部(くらぶ)」(満倶=まんく)と、他の会社や実業家が作った「大連実業団」(実業)は昭和2(1927)年に始まった社会人野球の都市対抗で、初年度からいきなり3年連続の優勝をかっさらう。さらに終戦までに準優勝3回の強豪ぶりである。

 何しろ、両チームに集まった選手の顔ぶれがすごい。

 浜崎真二(慶大、後に阪急、国鉄監督)▽山下実(慶大、阪急)▽中沢不二雄(明大、パ・リーグ会長)=以上、満倶。岩瀬(谷口)五郎(早大、巨人コーチ)▽田部武雄(明大)▽松木謙治郎(明大、阪神、東映監督)=以上、実業=など、当時、人気絶頂だった東京六大学のスタープレーヤーがこぞって海を渡った。彼らは後にプロ野球で活躍、この全員が野球殿堂入りを果たしている。

 なぜ、これほどまでに大連に好選手が集まったのか。「わが国球界をリードした大連野球界」の著者、秦源治(はた・げんじ)(1926年~、旧制大連二中-南満工専)は、「満鉄などがバックだったから選手の待遇がよかったのだろう。大連など都市部では生活もしやすかった。後には各大学の先輩による引きもあったのではないか。都市対抗3連覇は満鉄特急『あじあ』と並ぶ大連っ子の誇りでしたね」

 満州の文化行政を握っていた満州映画協会(満映)理事長の甘粕正彦(あまかす・まさひこ)(1891~1945年)の存在もあった。甘粕はスポーツ、とりわけ野球に力を入れ、浜崎真二を満映に招いたほど。角田房子(つのだ・ふさこ)著の「甘粕大尉」にこんなくだりがある。《甘粕は「“日満一体”というが、何か両国民をうちとけさせるよい方法はないか」とたずね、浜崎は「一緒にスポーツをやらせるに限る」と答えた》

 やがて大連以外の奉天(現中国・瀋陽)や新京(同・長春)、撫順などでも強豪チームが生まれてゆく。かくして満州では少年野球から社会人野球まで華やかに野球文化が咲き誇ることになった。

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