産経ニュース

【満州文化物語】(4)3つの国歌 作曲者にも「戦争の陰」

ライフ ライフ

記事詳細

更新

【満州文化物語】
(4)3つの国歌 作曲者にも「戦争の陰」

 ■甘粕が力注いだ10周年

 満州国・陰の実力者として君臨した元陸軍憲兵大尉、甘粕(あまかす)正彦(1891~1945年)は満映(満州映画協会)や新京音楽団(新京響)理事長に就任し文化行政を一手に握ってゆく。そのハイライトは、満州国建国10周年を迎えた昭和17(1942)年の一連の大イベントであった。

 日本から派遣された演奏家と新京響の楽団員らで構成された「満州国建国十周年慶祝交響楽団」は、新京(現長春)や奉天(同瀋陽)、ハルビンなど満州各地を回り、演奏会を開いてゆく。ほかにも東京音楽学校(現東京芸大)音楽使節団の渡満、6代目尾上菊五郎らの歌舞伎公演、演劇関係者の招請など記念行事がひきもきらない。

 このとき、自作の日本献呈慶祝曲を引っ提げ、オーケストラを特別編成して、渡満したのが山田耕筰(1886~1965年)である。

 昭和17年9月に行われた「満州国建国十周年慶祝交響楽団」慶祝楽曲演奏会のプログラムが残っていた。

 山田の慶祝曲や交響曲「明治頌歌(しょうか)」に加えて、同盟国であるドイツやイタリアからの献呈曲などが演奏され、指揮の多くは山田。第1バイオリンにはタレント、黒柳徹子の父親で、後にN響のコンサートマスターを務める黒柳守綱(1908~83年)やチェロには世界的な指揮者、小澤征爾(せいじ)の師である齋藤秀雄(1902~74年)の名も。

 新京にオーケストラをつくり、建国10周年行事として一大イベントを企画した甘粕の狙いは何だったのか。

 『王道楽土の交響楽』を書いた岩野裕一はこう思う。「(甘粕らには)欧米の列強と並ぶ一等国になるにはオーケストラぐらい持っていないとダメだという思いがあった。強烈なコンプレックスに裏打ちされた行動であり、(満州国首都に結成された)新京響はその“落とし子”ともいえるでしょうね」

「ライフ」のランキング