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【小山評定の群像(8)】堀尾忠氏 才気ある若武者の名案は…

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【小山評定の群像(8)】
堀尾忠氏 才気ある若武者の名案は…

 前回紹介した山内一豊は城を明け渡すという大胆な提案で徳川家康の歓心を得て大出世につながったが、もともと一豊の発案ではないという説がある。小山評定に先立ち、一豊にこのアイデアを披露したのが堀尾忠氏。だが、評定では一豊が先んじて提案してしまった。ずるいなあ、一豊。少なくとも、新井白石は「藩翰譜(はんかんふ)」でそう指摘している。

 諸大名について記した「藩翰譜」は小山評定の約100年後の書物で真偽不明だが、評定を前に親しい大名同士、相談していたというのはありえることだ。石田三成の挙兵は耳に入っていただろうし、家康からの招集を受けて、「いよいよ決戦か」「どう対応すれば…」と不安と緊張が高まる。他人の出方も知りたい。

 忠氏と一豊の関係はというと、忠氏の父、堀尾吉晴と一豊は若い頃から豊臣秀吉を支えた、いわば戦友。

 講談とかだと、吉晴は茂助と呼ばれた若者時代、岐阜・稲葉山城を攻める秀吉を道案内し、秀吉の馬印「千成り瓢箪(びょうたん)」のエピソードとともに登場する。秀吉との関係はそれほど古いが、小山評定当時は隠居しており、小山に来たのは嫡子、忠氏だった。

 一豊としては、同僚の跡継ぎの若武者ぶりを見たい気持ちもあり、忠氏を介して吉晴の考えを知りたくもある。

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