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【本郷和人の日本史ナナメ読み】(37)昼ドラ真っ青 北条親子の確執

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【本郷和人の日本史ナナメ読み】
(37)昼ドラ真っ青 北条親子の確執

 結城朝光や長沼宗政といえば、有力な鎌倉御家人です。下総の結城家、下野の長沼家といえば、関東有数の名門武家として、戦国時代まで続いていきます。

 その祖である朝光と宗政はともに小山政光の子ですが、小山朝光、小山宗政とはいいません。本拠を築いた結城・長沼を姓としている。事情は和田義盛も同じ。義盛の父は三浦義明の長子。ですが、三浦の跡を嗣がず杉本を名乗ります。その長子である義盛は和田を名乗り、和田一族の祖となる。三浦一門の主要メンバーに違いありませんが、三浦義盛ではない。自らも、周囲のみなも、三浦義盛とは認識しないのです。

 いったい何が言いたいのかというと、実は北条義時がこのケースに当てはまるのです。義時はご存じのように、北条時政の子で、政子の弟。教科書にも北条義時としか出てきません。ところが、『吾妻鏡』を見ると、全く逆なのです。ある時期まで彼は、江間義時とだけ名乗っている。江間は北条にほど近い地名で、現在は静岡県伊豆の国市。いちご栽培で有名なところ。義時は北条氏とは別に江間家を立て、その祖となるはずの人だった。

 言葉を変えるなら、北条時政は本来、義時を嫡子・後継ぎと認めていなかった、ということです。時政は源頼朝の舅(しゅうと)としての地位を確立してから、つまり、関東でも有数の有力者にのし上がってから、中級貴族の家から花嫁を迎えます。平清盛の義母として有名な池禅尼(いけのぜんに)(藤原宗子)の姪(めい)、牧の方です。だいぶ前に、頼朝は糟糠(そうこう)の妻・政子を大事にした、と書きました。舅の時政の方は、周囲の評判など気にしなかった。実力にモノを言わせて、洗練された女性を獲得したのでしょう。彼女はおそらく、義理の娘となる政子より、若かったと思われます。

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