産経ニュース

【赤字のお仕事】岩瀬忠震(1)“古里”に伝わるサムライ外交官の軌跡

ライフ ライフ

記事詳細

更新

【赤字のお仕事】
岩瀬忠震(1)“古里”に伝わるサムライ外交官の軌跡

 私の連載で足跡を追う市川清流(渡、1822~79)の人生に大きく関わったのが幕臣、岩瀬忠震=ただなり=(1818~61)である。鎖国を終わらせ、外国奉行として欧米5カ国との修好通商条約に調印した「幕末の外交官」との出会いは、のちに清流を歴史の表舞台に引き上げることになる。

 清流の生涯に近づくために岩瀬は避けて通れぬ存在だ。清流と出会う以前、彼は少年時代や青年期に何を学び、どのような影響を受けて育ったのか。私は調べうる限り資料に当たってみたが、このころを記したものは皆無に等しい。岩瀬は東三河6カ村(現愛知県新城市)を知行地に持つ1400石取りの旗本、設楽貞丈=さだとも=の三男として江戸で生まれた。幼名は忠三郎(愿=よし=三郎とも)。22歳のとき同じ三河出身で800石取りの旗本、岩瀬忠正の養嗣子となり、その長女と結婚した。

 かつて設楽家が治めていた同県新城市には岩瀬の業績をたたえ後世に語り継ぐ「忠震(ちゅうしん)会」という団体がある。当地で若き岩瀬のエピソードが聞けるかもしれない。矢も盾もたまらず私は早朝、東京駅をたった。

 市街地を400~600メートル級の山々に挟まれた新城市。街の東側を流れる豊川が形成した緩やかな丘陵は古来度々戦の地となり、戦国期に織田・徳川連合軍と甲州武田軍の決戦の舞台となったことで有名だ。JR飯田線三河東郷駅の東側に設楽家菩提(ぼだい)寺の勝楽寺がある。境内の「岩瀬肥後守忠震顕彰之碑」が1986(昭和61)年に建立されたのを機に忠震会が発足した。事務局長の森野進さん(86)は地元の小中学校の元教員。「いまは岩瀬の功績を児童・生徒たちに広め、地元の偉人を少しでも知ってもらおうとあちこちに足を運んでいます」と笑う。森野さんによると会員は現在190人。岩瀬忠震の研究やリポートなどを掲載し年1回発行する会報「爽恢(そうかい)」は昨年25号となった。タイトルの爽恢は岩瀬の諡(おくりな)である。

「ライフ」のランキング