【話の肖像画】パソナグループ代表・南部靖之(2) 寺に“住み込み”生き方学ぶ - 産経ニュース

【話の肖像画】パソナグループ代表・南部靖之(2) 寺に“住み込み”生き方学ぶ

本社が入るビルにある大手町牧場でヤギと一緒に =東京都千代田区(荻窪佳撮影)
 〈寺の子供でないのに、少年期の大半を寺で過ごした〉
 僕には、人生の恩師が2人いるんですよ。1人は、京都市東山に総本山のある浄土宗知恩院の末寺、神戸の通照院の住職です。もう1人は次回、話しますね。
 3人兄弟の末っ子の僕は、兄が通っていた寺の私塾が気に入り、修行中の少年僧のように、いつもその寺にいるようになりました。中学に入ると週末は泊まり込み、早朝に起きて庭の掃除をしたり、縁側を拭いたり、ろうそくをつけたり。朝7時から講話を聞きに来る檀家(だんか)さんの分まで40人分くらいの朝がゆを作り、お茶やお花も学び、写経もしました。
 平日は朝、寺に顔を出し、掃除を終えると作務衣(さむえ)のまま学校に行き、学生服に着替えました。体を鍛えるために鉄げたを履き、弁当だけ背負って走って登校していました。教科書すら持って行ってませんでしたね。
 〈寺の住職の説法と両親の育て方が、多様な価値観を育んだ〉
 寺では、いろいろな知識を身に付け、生き方を学びました。説法を聞き、住職と話をし、普通ならお坊さんが読むような本を読みました。良寛禅師と一休さん、仏教詩人の坂村真民(しんみん)の詩などが教材でした。高校、大学はずっと寺にいて、禅の文化を海外に広めた仏教学者の鈴木大拙(だいせつ)の全集を読んだりしました。
 豊かな心をどう持つか。惑わされない心、こだわらない心、地位とかお金とか俗世的なものにとらわれない生き方をしなさい、ということを大学まで通じて教わりました。
 父や母の言葉からも、「価値観の多様性」の大切さを身に付けました。兄に比べて勉強が好きでなかった僕に、母は「算数で100点を取るのも、100メートル走で1番になるのも同じ才能だよ」と言ってくれました。テストで良い点が取れなくても、絵を描くと、お小遣いを10円くれたりしました。僕は、勉強ができるとかできないとかで友達を選ばなかったので、その頃から僕の周りにはたくさんの友達がいました。
 〈大学在学中に学習塾を開き、そこからパソナの前身のテンポラリーセンター設立へとつながっていく〉
 塾に通う子供たちのお母さんから話を聞くと、一流企業で働いた経験があったり、英語が話せる優秀な人もたくさんいた。しかし、再び働きに出たいと思っても、経験を生かし、能力に見合った給料をもらえる仕事がありませんでした。第1次石油危機後の景気の悪い時期で、僕自身の就職も決まらず、「社会問題を解決したい、家庭の主婦が働くことができ、高収入を得られる仕事をつくりたい」と考えました。
 労働時間による差はあっても、時間給は正社員と変わらない仕組みです。「人材派遣」という言葉はまだ、日本にはありませんでした。
 就職もせず、会社を立ち上げるなんて考えられない時代でしたが、中堅化学メーカーを経営していた父は反対もせず、「よっしゃ」と。恩師の住職も、「本当に大切なものは何か、見つめながら事業をやりなさい」と応援してくれました。(聞き手 大塚昌吾)