拓殖大学学事顧問・渡辺利夫が読む『近代日本の中国観 石橋湛山・内藤湖南から谷川道雄まで』岡本隆司著 現代に継承すべき研究とは

書評
『近代日本の中国観 石橋湛山・内藤湖南から谷川道雄まで』岡本隆司著

 石橋湛山に始まり谷川道雄に至る、その間に内藤湖南、橘樸、宮崎市定などを含めた中国史の碩学(せきがく)の著作を読み解きながら、現代の中国研究は何を継承し、何を退けるべきかを論じた秀作である。

 マルクス主義史学が芽を吹いたのは大正デモクラシーの時代であった。明治という国家形成の時代を駆け抜けた日本が、第一次大戦に参戦・勝利し、その達成感の後に襲われたのが、国家主義以外に依拠すべき知の資産を自分たちは何ももたないという空漠たる感覚だったのであろう。

 そこに舞い込んできたのが、マルキシズムであった。西洋発のこの社会科学をもって新しい地平を開拓していかなければ、と多くの中国史家は確信したのであろう。

 本書を貫く主張が、中国の社会を西洋のそれと同類のものと想定し、社会発展もまた同類の段階を踏んで進むとみなす思考の呪縛についてである。日本の中国史学の内部における論争の主題が、中国のいつの時代が古代奴隷制であり、中世封建制なのか、はたまた近代はいつ始まったのかという時代区分論争に明け暮れたのは、それゆえである。

 戦前期には、中国には「変化というものは一切なく、いつまでも同一のものが繰り返して現れるという停滞性」(ヘーゲル)をもってその特徴とする「中国停滞論」が確かに存在していた。しかし、そういう「没歴史観」は、次第に影の薄いものとなってしまった。「『停滞論』克服の潮流の中心になったのは、とりわけマルクス史学者が結集した歴史学研究会、いわゆる「歴研派」の活動である。彼らの研究は、中国史の見方を『停滞』から『発展』へ一変させた」と著者はいう。

 著者の懸念は、ある特有な概念を貼り付けて歴史を理論化してしまうという、研究者の奇妙な癖である。残されるのは、理論と現実、概念と対象との深刻な乖離(かいり)である。

 『中国の誕生 東アジアの近代外交と国家形成』という前著の背後に、日本の中国史学に関するこれだけの文献史的研究があったことを知らされて、この著者の浩瀚(こうかん)なる知識に改めて讃嘆(さんたん)している。(講談社選書メチエ・1550円+税)

 評・渡辺利夫(拓殖大学学事顧問)