ゲームクリエーター・田尻智(5)ポケモン誕生に6年かかった

話の肖像画
ゲームクリエーター田尻智氏(松本健吾撮影)

 〈ミニコミ誌「ゲームフリーク」が会社組織となった平成元年、任天堂から通信ケーブルのついた携帯用ゲーム機「ゲームボーイ」が発売される。これがポケットモンスター(ポケモン)構想に火を付けた〉

 会社を設立し、ちょうど“次の手”を考えていた頃でしたから、ゲームボーイの登場は衝撃的でした。通信ケーブルで何ができるだろうと考え、真っ先に浮かんだのが「交換」という言葉。例えばロールプレーイングゲーム(RPG)で、入手しにくいアイテムを友達と交換できるようになれば、ゲームの世界がぐんと広がるに違いないと思ったのです。

 〈問題は何を“交換”するかだ〉

 子供たちをはじめ誰もが交換したくなるようなものは何だろうと、考えに考えてたどり着いたのが、昆虫採集などに夢中だった小学生時代のこと。友達と競い合って珍しい昆虫を捕まえたり、取り換えっこしたりしたときのわくわく感をゲームで再現できれば、これ以上のものはないですよね。

 徹夜で企画書を書き上げ、ゲームコンテンツの会社を立ち上げていた糸井重里さんの事務所に持ち込んだら、そこに石原恒和さん(現株式会社ポケモン社長)もいて、2人とも「いいんじゃない」と任天堂につないでくれたのです。

 〈だが、開発は順調ではなかった〉

 当初は1年で制作する予定でしたが、2年たっても3年たってもゴールが見えてこない。例えばポケモンを何種類つくればいいのか、それだけで何度もスタッフと議論しました。50種類くらいあればいいか、いや、交換する面白みを出すにはもっと多い方がいい-などとね。そのうち人間関係のもつれから複数の仲間たちが会社を去ることになったり、資金が底をついたりして、あの頃は本当に苦しかった。

 〈開発プロジェクトのスタートから6年以上、ついに新たなRPG「ポケットモンスター 赤・緑」が発売される〉

 当初の出荷本数は約13万本。苦労の割に少なかったのは、開発が遅れている間にスーパーファミコン(2年発売)やプレイステーション(6年発売)など新型ゲーム機が登場し、ゲームボーイが古くなってしまったからです。しかし、すぐに口コミで人気が広まり、日本国内だけでなく世界中でヒットしました。背景に、多くの人の支えがあったのは言うまでもありません。

 石原さんが関連商品のマーケティングに熱心で、ポケモンを題材にしたアニメをやろうとか、カードゲームにしようとか、いろいろ仕掛けてくれたのも大きかった。その分、本体のゲームがしっかりしなければならないと、自然にお尻を叩(たた)かれました。

 〈ゲームフリークは現在も、ポケモンシリーズを中心に多くのヒット商品を生み出している。その原動力は、尽きることのないゲームへの情熱だ〉

 山あり谷ありでしたが、今は社員がそれぞれの持ち味を発揮し、会社全体としてゲームづくりができていると思います。ポケモンシリーズだけでなく、例えば新しい競馬ゲーム「ソリティ馬」(25年発売)を開発するなど、さまざまなゲーム制作に取り組んでいる。僕らのゲームで一人でも多くの子供たちが、いや大人たちも、笑顔になってくれればうれしいですね。(聞き手 川瀬弘至)

 =次回はパソナグループ代表の南部靖之さん