【話の肖像画】ゲームクリエーター・田尻智(4)最初のゲームは「めくる」 - 産経ニュース

【話の肖像画】ゲームクリエーター・田尻智(4)最初のゲームは「めくる」

田尻智さんの小学校時代(本人提供)
 〈ゲームライターとして活動していた20代前半、仲間たちとともに独自のゲームをつくろうと、新たな挑戦が始まった〉
 きっかけは中学3年の頃に応募した、ゲーム会社のアイデアコンテスト。僕が世の中に打って出るとしたら、これしかないと思いましたね。その年は参加賞でしたが、翌年に業界大手のセガ(現セガゲームス)が主催したコンテストで優秀賞になり、アイデアスタッフのような立場になりました。
 しかし、いくら待っても自分のアイデアが商品化されない。だったら自分たちで作ろうと…。開発機材を購入するのはお金がかかるので、それも自分たちで作っちゃえ、と…(笑)。まずはファミコン(ファミリーコンピュータ)を分解して仕組みを調べ、中古のパソコンなどで開発機材を自作し、徐々にゲームづくりを本格化させていったのです。
 〈当初は何もかもが手探りで、何度も壁に突き当たった〉
 最大の課題は、アイデアはあってもプログラミングできるスタッフがいなかったこと。たまたま僕らが作っていたミニコミ誌「ゲームフリーク」の読者に、宇和島(愛媛県宇和島市)在住のプログラミングの分かる4人グループがいて、彼らが専門学校に入るために上京してきたので仲間に誘いました。
 それで何とか形になってきたものの、今度は音楽のできる人がいない…(笑)。この時は増田君(増田順一・現ゲームフリーク常務取締役)がメンバーに加わってくれたので救われましたが、ほかの課題も山積でなかなかイメージ通りにならず、途中で何度もやり直しました。
 〈単にゲームをつくるだけでなく、面白いと認められなければ意味がない〉
 カギになるのは「動詞」です。インベーダーゲームは「撃つ」だし、その後にヒットしたパックマンは「食べる」。新しいゲームが注目されるかどうかは、それまでのゲームにない新しい動詞をプログラムできるかどうかにかかっている。最初のゲーム制作で、僕らが考えた動詞は「めくる」でした。
 〈開発機材の自作からほぼ3年、ファミコン用ゲームソフト「クインティ」が誕生する〉
 クインティは、さまざまなキャラクターの主人公が、床のパネルをめくって敵を転ばせ、壁にぶつけて倒しながらゴールを目指すというアクションゲームです。ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)に持ち込んだところ、担当者が「こいつはいいねえ」と、即決で商品化を約束してくれました。発売は平成元年。20万本以上のヒットになり、僕らの将来に大きな道が開けたのです。
 〈クインティで得た5千万円の印税を資金とし、株式会社ゲームフリークを立ち上げた〉
 みんな、ほかのアルバイトをしていたり専門学校に通っていたりと、二足のわらじでしたからね。ゲームをつくり続けるためには会社をつくり、仲間たちに安定した収入を与えなければならないと考えたのです。もっともゲーム好きの集まりだから時間にルーズだし、朝がまるで弱い(笑)。みんなに自覚をもってもらおうと、率先してスーツ姿になってみたけれど、効果はあまり…(笑)。でも悲観はしませんでしたよ。その頃すでに、ポケモン(ポケットモンスター)の構想を抱いていましたから…。(聞き手 川瀬弘至)